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公開レクチャー・シリーズ参加記

CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第39回(2017年 5月12日)

「台湾の同志(LGBT)運動と文学―東アジアの基層文化と性のあり方を考える」

講師:橋本恭子さん(津田塾大学・非常勤講師)
司会:洪郁如さん(一橋大学大学院社会学研究科教授)

参加記

講師の橋本恭子先生は、仏文科からフランス系企業勤務を経て、台湾の清華大学と本学言語社会研究科で大学院を修了されており、これまでは主に、日本統治期台湾の比較文学者島田謹二を批判的に研究してこられた。御自身と島田謹二に共通する日本・台湾・仏語圏という枠組みの下、近年は新たなテーマとして、この3地域における性的少数者運動・文学の比較研究に取り組まれており、また「虹色とんちー」(「とんちー」は後述する中国語「同志」から)という団体を立ち上げ、LGBTや性の多様性について地域の理解を深める為の活動にも携わっておられる。

 

レクチャーの導入として、「学問の土着化」というお話があった。クィア・スタディーズの東アジアにおける受容を検討する中で、具体的な問題として「クィア」や「セクシュアル・マイノリティ」といった語が、日本ではカタカナで直輸入されて使われているのに対し、台湾ではそれらを包括する「同志」という語が用いられている例を挙げ、日本における外来概念の土着化に疑問を投げ掛けられた。そしてこの新たな学問が孕むアメリカ偏重主義と、「新自由主義的LGBT運動」vs「新しいホモノーマティヴィティ批判」という二項対立からの脱却を提唱され、その為には多言語・多地域間の運動・文学の交流が有効であると論じられた。

 

続いて、台湾の同志運動の大まかな流れを解説された。現在注目が集まっている同性婚法案を巡る動きに加え、日台の現状を表す象徴的な数字として、自治体による同性パートナーシップ制度の申請者数で、日本が52組(2016年8月時点)なのに対し、台湾は既に1,000組を超えていることを挙げ、文字通り桁違いの差に驚いたと話されていた。台湾の同志運動の特徴としては、日本統治時代/国民党独裁時代からの民主化・人権運動の流れの中に位置付けられる点と、フェミニズムや環境保護運動等、他の社会運動との結び付きが強く、社会全体に広がりを持っている点を指摘された。

 

そしてここまでのお話を踏まえ、日本にとって未踏の新たな可能性を切り拓き、多様な価値観を創出する手掛かりとして、台湾の同志文学を紹介された。胡淑雯の『太陽の地は黒い』において、異性愛者である主人公が性的マイノリティを語る構図が採られていることに関し、橋本先生は「問題はもはや『非-当事者』と『当事者』の間ではなく、私たちのセクシュアリティを支える諸構造に対する『無自覚』と『自覚』の間にある」という村上隆則の言葉を引用され、御自身もLGBT運動に関わる中で悩んできた「非当事者の役割」という問題に示唆を与える内容であったと述べられた。その他にも阮慶岳の作品や、日本語で書かれ群像新人文学賞にも選ばれた李琴峰の『独舞』を紹介され、この分野ではまだ成果の少ない日本文学にとって、台湾文学との交流が秘めている可能性を指摘された。

 

それぞれにとても興味深い内容のお話が沢山詰め込まれ、密度の濃いレクチャーだったが、橋本先生の軽快な語り口のお蔭であっと言う間の時間に感じられた。個人的に一番印象深かったのは、日本と台湾の違いについて最後に先生が語られた、「台湾は良い意味で「国」が小さいので、学問と運動の距離が近い」という言葉である。社会運動との距離の取り方は、人文・社会科学に従事する全ての研究者にとって難しい問題であろう。自分も台湾の少数言語復興運動について研究する中で、台湾の研究者の多くが同時に熱心な運動家でもある事実に少なからず驚かされた。結果として、台湾で書かれた論文の中では、感情が先行しやや論理性に欠ける記述にもしばしば出遭うことがあり、それは客観性の担保が不可欠な学問にとって、当然問題であるとは思う。しかしだからと言って、社会運動に超然的な態度を保ち、研究成果の実社会への還元のプロセスには手を染めないことが、研究者の正しい姿勢であるとも自分は思わない。今回のレクチャーでも触れられたが、本学で起きたアウティング事件のような痛ましい出来事が発生した場所が、正にこのレクチャーの開催場所であり、日々「高度な」学問が展開されているマーキュリータワーであったという事実に向き合う時、その思いを一層強くせずにはいられない。

 

また本題とはやや離れるが、冒頭で先生が、教え子の中に台湾がかつて日本の植民地であった事を知らない学生がいたと話されたのにはショックを受けた。台湾に関わる研究をする者として、日本人の台湾に対する理解の浅さについては、自分も責任の一端を担う問題として取り組まねばならないという思いを新たにした。昨今の斯様な状況は、日本人がかつての支配者側の人間であるという点から見て不適切であるばかりでなく、台湾人が現在日本の事をよく知ってくれていることを考えれば、甚だ不平等でもあると言えるだろう。日本はもっと台湾「を」学び、台湾「に」学ばなければならない、そう再認識させて頂いたレクチャーであった。

一橋大学大学院 言語社会研究科 博士後期課程 吉田真悟

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第37回(2016年 10月14日)

「現代ドイツにおけるフェミニズムと反フェミニズム運動」

講師:イルゼ・レンツさん(ドイツ ルール・ボーフム大学・教授)
司会:大河内泰樹さん(一橋大学大学院社会学研究科教授)

参加記

第37回CGraSS公開レクチャーでは、ルール・ボーフム大学よりイルゼ・レンツ先生をお迎えし、『現代ドイツにおけるフェミニズムと反フェミニズム運動』と題してお話いただいた。現代のドイツが直面しているジェンダーに関する状況とその歴史的経緯についてお話しいただくなかで、日本とドイツにおける反フェミニズム運動の比較などにも言及され、意義深く、新たな発見の多いレクチャーとなった。

はじめに、「反フェミニズム」とは何かを、「ジェンダー保守主義」との違いにも言及しながら説明してくださった。フェミニズムやジェンダー平等に反対する反フェミニズムは、ドイツで性差別のみならず人種差別とも結びつき、「ドイツ人女性を移民男性から守る」という文脈で用いられているそうだ。

続いて、ジェンダーをめぐるさまざまな分析概念についても解説していただいた。「ジェンダー・コンフリクト」とは、フェミニズム対反フェミニズムという図式のみに収まるものでなく、そこにはメディアや市民をはじめとする様々な要因が関わっている。現代における「ジェンダー秩序」の3つの潮流として、レンツさんは「国家による新家父長制」「生物学的な違いに基づく秩序」「柔軟なジェンダー秩序」をあげ、反フェミニズム論者とは「生物学的な違いに基づく秩序」に立ち返ろうとしているのだ、と強調された。  

さらに、1968年から現代にいたるフェミニズムの歴史を4つのフェーズに分けて説明し、現代のフェミニズムが抱える問題として、「仕事の平等」「身体とセクシュアリティの自己決定権」「ドイツ人と移民のフェミニズム」があると指摘された。「仕事の平等」では日本とも共通するケアワークの担われ方の不均等、「自己決定権」では反フェミニズムに対抗し、中絶に対する自己決定権を主張した2015年のWhat-the-fuck-march、「ドイツ人と移民のフェミニズム」では、反フェミニズムと結びついた性差別・人種差別についてドイツ人と移民のフェミニストが連帯して戦い、性暴力についての法を改正したというお話が特に印象深かった。女性運動の成果として、ジェンダー、セクシュアリティ、家族などについて、ドイツの法・社会・文化が「より柔軟なジェンダー秩序」へと変遷してきたことがわかった。

しかし、その一方で、反フェミニズムの潮流も存在し続けている。インターネット・マスキュリニスト、メディア・アンチフェミニスト、超宗教的な人々、ネオリベ、ネオナチといった各集団はこれまでばらばらに活動していたが、2014年以降、オルタナティブという政党が台頭し、個々の運動をまとめあげる動きが起こっているという。このお話しの際に、比較対象として、日本における日本会議の存在にもふれられた。

最後に、ドイツにおいて男性や移民がフェミニズムに参加するという現状に言及しつつ、反フェミニズムに対抗していくためには、ネットワークを作り、反フェミニズムの主張の背景を見極めて声を上げていくことが大切だとイルゼさんはおっしゃっていた。

質疑応答で「ジェンダー平等が概ね達成されていく中で、フェミニズムはもういらないという声はあるのか」と伺ったところ、ドイツでは若い男女が連帯して、フェミニズムはまだ必要であると主張し、より進んだジェンダー平等を目指していく動きがあると教えていただくことができた。  

全体を通じ、ドイツや日本におけるジェンダーをめぐる問題に対するイルゼさんのまなざしはポジジティブで、未来への期待が込められているという印象を受けた。「より柔軟なジェンダー秩序」が広がっていくために、今起きていること、そしてその背景を見過ごさないよう注意しながら、これからも考え続け、声を上げていかなければ、と改めて思うことができる貴重な機会となった。

一橋大学大学院社会学部4年 丁子幸

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第36回(2016年 7月6日)

「誘惑の舞台:夢を売る商売-東京ホストクラブ」

講師:竹山明子さん(米国 カンザス大学・准教授)
司会:ソニヤ・デールさん(一橋大学大学院社会学研究科特任講師)

参加記

第36回CGraSS 公開レクチャー・シリーズは、「誘惑の舞台:夢を売る商売-東京ホストクラブ」と題し、米国カンザス大学准教授の竹山明子さんに講演していただいた。竹山さんはジェンダー、親密さの商品化、新自由主義的グローバリゼーション等をテーマとして研究を行っている文化人類学者である。本講演では、今年3月に出版された竹山さんの著書「Staged Seduction: Selling Dreams in a Tokyo Host Club」(Stanford University Press)から、ホストクラブ現象について、ジェンダーを軸に新自由主義的構造改革下における自己実現がいかに商品化されるかという観点からお話しいただいた。

はじめに述べさせていただくと、竹山さんの研究の特徴は、感情や親密性など実証が難しく研究対象になりにくい側面を、自らAffective Ethnography「情動を駆り立てるエスノグラフィー」という方法論を提案し、明らかにしようとしている点にある。著書では、誘惑、焦燥感、不安など様々な感情の動きが感じ取れるよう、香りや音楽までも含んだその場の空気感が再現されている。深く精密なフィールドワーク、当事者視点への洞察、その場の人々の感情を掬い採らねば描くことができない叙情的な描写に、私自身も情動を駆り立てられずにはいられなかった。今回の講演は時間的な制限があったため、それを完全に再現することは難しかったかと拝察するが、2名のストーリーを中心に可能な限り丁寧に語ってくださったことに感謝したい。また、著書には本講演の内容も含め、より広い対象・時間軸の中での詳細な記述がなされているので、詳しい内容についてはそちらをご覧いただくことをお勧めする。  

本講演の内容は、竹山さんが新宿歌舞伎町にある老舗ホストクラブで行った博士論文の研究、およびその後10年あまりにわたる追跡調査がもとになっている。竹山さんが博士論文のための予備調査を開始した2003年、日本に滞在し本格的にフィールドワークを行った2004年から2005年は、ホストクラブがマスメディアでも盛んに取り上げられ、社会的な認知度が高まっていった時期である。本講演では、主にこの時期に竹山さんが行った調査結果を中心に発表していただいた。

竹山さんはこの研究を行うにあたり、ホストクラブのオーナーに直接許可を得て、調査者としてフィールドワークを行った。しかし許可が下りたのは、1部という深夜24時までの合法な営業時間帯に限られる。そのため、顧客は若いホステスやセックスワーカーを中心とする2部とは異なり、主婦やキャリアウーマンなど30~40才代を中心とした比較的年齢層の高い女性たちが中心となっている。本講演ではこのような特徴をもつフィールドから見えてきた知見を語ってくださった。

竹山さんは研究開始以前、マスメディアが描くホストクラブに関する表象から、「女性が男性を買う時代」と女性の活躍をもてはやす言説、「女性を食い物にする卑劣な男性、および商売」という加害者としての男性・被害者としての女性を強調する言説、そして疑似恋愛に酔った女性の札束が飛び交うという一見相容れないイメージを見聞きしていたという。

だが、実際にフィールドワークを開始してみると、竹山さんはそのような言説やイメージでは集約しきれないホストクラブの側面を発見する。特に当事者の語りの中で注目した言葉が「夢」である。ホストは、ホストとは「夢を売る商売」だと語り、女性客はホストクラブは「夢を見させてくれる」と語る。竹山さんは参与観察や聞き取り調査を通じ、「夢」という言葉を紐解いていく中で、その根底にあるものが「自己実現」(将来から現在を見据えて行動を決定し目標を実現すること)のプロセスであることに気づく。ホストクラブにおいては、男女ともに「男らしさ」「女らしさ」と密接な関係にある将来の「理想的な自己像」を心に描き、その自己実現を図る。つまり、「理想的な自己像」が目標になり、そこに向かうプロセス自体が「事業」・「プロジェクト」として捉えられ、ホストクラブに関わるあらゆる労働や消費が自己実現に必要な投資として捉えられる。そして、この自己実現のためのホストの労働や女性客の消費活動、すなわち自己実現のプロセス自体が、ホストクラブでは資本化されているのだという結論に達する。竹山さんは、このように個々人が理想像を打ち立てて実現するプロセスがどのように舞台仕掛けの誘惑(Staged Seduction)の中で誘導され方向付けされているか、そして資本化されているのかを説明してくださった。

説明にあたり、竹山さんは典型的な特徴を持つ男女それぞれのインフォーマントの例を挙げてくださった。まずは女性客のAさん(2003年夏当時31才、3児の母)のケースである。Aさんは大工である夫の事業を事務員として手伝いながら、家庭では妻・母として家事と育児をこなす。彼女は高校卒業後、会社の事務員をしながら夜は地元でホステスのアルバイトをしており、20歳を過ぎた頃、高校の同級生であった現在の夫と恋愛結婚したという。Aさんは第一子誕生後10年ほどは、家事や子育てに追われ自分の時間がとれない日々が続き、自分の衰えた身体や垢抜けないファッションを目にすることで、オンナとしての自信が持てなくなっていったという。また、夫からも性的対象として扱われないようになり、自分も夫を性的な対象としてみることができなくなっていった。そして、周囲の人からも夫の妻、子供の母としてみなされる中、一人の女性としてのアイデンティティを失ったかのように感じるようになったという。30才を超え時間的にも金銭的にもゆとりができたのと時を同じくして、「自分のオンナとしての人生が終わりゆく」危機感を持ち始めたことがAさんをホストクラブ通いに駆り立てたようである。Aさんは、「ホストクラブ通いはオンナを取り戻すための手段だ」と説明する。そして「オンナ」という言葉を「魅力ある一個人として扱われる女性」のことだと定義する。それはAさんが結婚後喪失したと感じる、若くて可愛いというだけで男性から言い寄られもてはやされた自らの過去の記憶に基づいた女性像であり、それを懐かしむものだった。Aさんにとって、このオンナを取り戻すということが、ホストクラブ通いを通じて遂行する自己実現のためのプロジェクトとなったのである。  

ホストクラブにおいて、Aさんはホストたちと騒ぎ楽しむ中で一人のオンナとして扱われる喜びを得る。そして、疑似恋愛(疑似とはいえAさんは浮気の存在は否定しない)を通じてトキメキを感じ、オンナとしての自分を意識するようになる。その関係性の中で益々キレイなろうとすることで、サロンやエステ等、他では得られない自分の内側から醸しだされる若々しさやオンナとしての魅力を取り戻す効果を体感したそうだ。さらに、日常生活でも、趣味や活動の幅が広がり、おしゃれや自分の時間を楽しむ一方で、夜遊びへの罪悪感と家族への感謝の気持ちから退屈な家事も気にならなくなる。その結果、明日への活力が生まれ活き活きとした生活を送ることができるようになったと語る。

このようにAさんにとって、ホストクラブ通いの代金はホストクラブでの飲食・サービスに加え、日常生活をより充実したものにするために必要な経費となる。これは、Aさんが「いつまでも若々しく、美しく、輝く」女性であり続けるという理想像を実現するための自己投資と捉えることもできる。こうした当事者の肯定的な解釈に対し、ホストクラブ通いする女性への社会的偏見は依然根強い。Aさんは次のようなロジックでそれを払拭する。他人に迷惑をかけることなく自ら稼いだお金で息抜きをしていること、夫との約束の門限を守り家庭や職場に支障をきたさぬよう努力していること、恋愛相手にプロの男性を選ぶことで家庭崩壊やその他のリスクの回避を図っていること、そして美しく輝く母や妻を家族が喜んでいること等を理由に挙げ、自らの行動を正当化する。

もちろんAさんのケースは夫や家族の理解がある場合だが、そうでないケースもある。惚れ込んだホストとの将来を夢見て莫大なお金を貢いだり、自らセックスワーカーになってホストを金銭的に支える女性など、いわゆる「見返り」を得られない女性も多く存在していることを竹山さんは指摘されていた。

では、男性ホストはどのような「夢」をもち、自己実現像を持っているのだろうか。竹山さんがフィールドワークをしたクラブのホストは、社会的な資源、人脈や学歴など社会で成功するための要素を持ち合わせておらず選択できる職業が極めて少ないケースが多かったという。だが彼らは、女性に恋愛感情を抱かせ、格好良さと夢を女性に提供することによりビジネスで成功し、社会にメッセージを発信していく影響力のある男性、といった理想像を思い描いていたようである。その理想像を目指し、根拠のない自信と自らの頑張りとでホストとして成功しようと日夜努力する。その結果、実際に一握りの人間は成功するが、その背景には膨大な数の成功できないまま低賃金で日々働き続け、性的なサービスを提供するホストが多く存在している。 

竹山さんは彼らの姿をBさんの事例と、ホストクラブの仕掛けから説明する。Bさんは2004年当時24歳、難波のホストクラブでNo.1になり、「歌舞伎町でNo.1になればすなわち日本一になれる」という夢を持って大阪から上京したと語るホストである。Bさんによると、彼は高校を中退し前科持ちという経歴から選べる職業が少なく、介護職やバーテンダーなど様々な仕事を転々としていたようである。バーテンダーをしている際、「女の子を何人か連れて、かっこいい服を着て、いい車で乗り付けてくるホスト」を見て、「遊びながら酒が飲めて、金ももらい、有名人にもなれる簡単な仕事」だと思い、ホストになったという。そして、ホストクラブは幸い来るもの拒まず、誰でも受けてくれる職場であったので違和感なく入れたとBさんは語っている。

だが、実際に働いてみると、ホストはイメージしていたような簡単な仕事ではなく、Bさんは仕事中もプライベートの時間も、接客の技術を獲得することに専念することになる。しかしホストになるには、技術だけでなくホストとしてのマインドセットも確立せねばならなかった。Bさんはホストになりたての頃、控えめで女性客に電話番号を聞くことすらできなかったという。そんな入店直後の彼を、自営業を営む50代の客が大金を払い店のNo.1にした。Bさんはある時その客の自宅でキスを迫られるも、それをかわしてしまった。その出来事を店の先輩に話したところ、同情を買うどころか、「この世界にいたらそんなきれいごとを言っていては駄目だ、ちゃんと対処しないといけない」と喝を入れられる。自分の母親の年齢以上の客と性的な関係を持つことを想像だにしていなかったBさんであったが、それを機にホストとして乗り越えるべき壁を認識し、プロ意識をもって対処していくようになる。具体的にはあいさつ代わりのキス、感謝の気持ちを表すキスなどと様々な意味付けをすることで力まずにすむようになり、今まで出来なかったような性的なサービスにも慣れていった。そして複数の上客(業界用語で「太い客」)と性的関係を持ち同棲をするようになる。こうした職場以外での交流も、売上No.1の地位を維持しビジネスで成功するのに必要なことであったと説明する。また、自ら確立したプロ意識から店での正規の労働だけでなく、閉店後の複数客への性的サービスも含めたインフォーマルな労働にも昼夜精を出す。その結果、Bさんの生活は一日24時間、ホストクラブでのNo.1を目指すための労働に占められるようになっていった。

ここで興味深いのは、外部者は、Bさんの様な客に性的サービスを提供しているホストをセックスワーカーであると捉えるだろうが、当事者であるホストはそれを否定するという点だ。自分たちは、客を拒むことなく誰とでも性行為をする男娼やセックスワーカーではなく、あくまでもプロのエンターテイナーでありホストであって性的対象とする女性は自分たちが選んでいる、というような説明をする。そして、選択の理由の中には自分の好みの女性であったというものも含まれるが、多くは自分の目標を達成するためのビジネスとしての戦略だと捉えることによって「枕営業」を正当化し、そのサービスを提供していく。

そして、ホストを性的サービスも含めた24時間労働に駆り立てる背景としては、ホストクラブというステージの巧妙な仕掛けを見逃すことはできないと竹山さんは指摘する。店の表向きの舞台は、あくまでも客が非日常のファンタジーを味わうための煌びやかな舞台である。だが、裏舞台は売り上げを競う戦場であり、そのための仕掛けが多く施されている。清潔で大きな鏡がある女性用トイレに対し、狭く汚い男性トイレには目線の位置にビジネス標語と罰金規定が貼ってある。ビジネス標語には「人はお前の負けを笑っている、途中で辞めたらお前は敗者だ」「人は成功した後についてくる」「売り上げがないなら自分の女を連れてきてでも売り上げろ」といった言葉が並ぶ。ロッカーに向かう狭い通路には売上ランキング表が貼りだされ、指名本数、売上総額の記載から自分の立ち位置とライバルホストの成績、あといくら売りあげればトップランキングに仲間入りできるかが常に可視化されている。月末締めの際にはこの表は数時間ごとに更新され、ホストの競争を煽る起爆剤となっている。このようなステージの様々な仕掛けに促され、ホストは月末の売り上げ競争で勝利をおさめるよう日頃から客に辛苦のともなうサービスも行い、その対価として客も無理をしてでも自分の担当ホストに表舞台でいい格好をさせようと、金を使うような仕組みになっている。

では、このような人間ドラマを一歩退いて見た場合、現代日本社会のどのような姿を映し出しているのだろうか。竹山さんはその背景にある社会の風潮と構造、そしてその底流にある新自由主義的価値観に視点を向ける。   

まず、選択の自由、起業家精神、自己実現といった価値観が重要視されるようになり、「勝ち組」「負け組」という階層意識が形成されるようになった日本社会において、将来の目標を実現するよう煽られる社会的風潮があること。そして、日本のバブル経済崩壊後の長引く不況の中、製造業を中心とした右肩上がりの成長期に描かれたような夢や明るい未来が影を潜めた現代に彼らが生きていることが挙げられる。自己実現を煽られるものの具体的な将来像が描けない、そしてサラリーマン中心の企業社会で成功する要素を持ちあわせない男性にとって、ホストクラブはわかりやすい競争原理で自己実現を果たす「夢」を与えてくれる舞台として魅力的に映る。その舞台提供と引き換えに、ホストクラブは彼らから搾取に近い形で労働力を得ていると考えることができる。

男性が個人事業主・起業家として労働に駆り立てられる一方で、女性は消費する主体として消費活動を通じて「自己実現」するよう導かれる。歴史的にロマンチックラブイデオロギーや家父長制家制度の下で女性には性的規範が課せられてきた。とりわけ母親には性的対象ならざる存在として家族への献身が課せられてきた。だが現在、ホストクラブ通いをするAさんのように、結婚後も若々しく性的な存在であり続けたい、オンナとして認識される存在でありたいという女性が多く存在する。これは従来の男性が作りあげてきた女の性というものへの反抗、またはそこからの解放とも捉えることもできる。また、そうした観点からは女性が生きやすい社会になったと肯定的に捉えることもできる。確かに高度消費社会の中で称揚される女性達が自己実現の手段にする婚外恋愛は、日本の近代化における家父長制のもと否定的に概念化されてきた不倫とは区別化されたものであり、新たな倫理観を作り出しているとも考えられる。婚外恋愛・アンチエイジングの言説(恋愛はセルフプロデュース術を身に着ける格好の教材であり、自己承認を取り付け、若返る効果もあり、日常に活力を与えてくれるといったもの)は婚姻後の女性の性を肯定的に捉え直したものと見ることもできる。こうした言説を内面化した女性たちにとって、金さえ払えば理想の恋愛をプロの男性が提供してくれる便利な恋愛市場が、ホストクラブであるといえるだろう。だが別の視点からは、女性は消費する主体として称揚されることで、結婚後も性的な存在として自らを位置づけ、身体を客体化させ、法外なサービスを消費し続けざるをえない存在となることで巧妙に資本制に取り込まれているという見方も否めない、と竹山さんは警告を鳴らす。

さらに、このようなホストクラブを取り巻く人々の労働や消費に関する語りと、1980年代以降、新自由主義改革の下で重要視されてきた価値観や倫理観との共振を竹山さんは指摘する。ホストは性的サービスを客に提供する時もセックスワーカーと差別化を図り、自らの語りの中で主体性を維持する。セックスワーカーは客を選べないが自分たちは性の対象を選んでいるのだと説明し、サラリーマンが他人の下で働かされているのに対し、自分たちは個人事業主として自ら采配を振るのだと強調する。そして一見搾取ともとれる働き方も夢の実現のための手段であると認識している。一方の女性客もこれに似た語りをする。従来の研究者達は女性の身体や性が客体化されることを問題視してきたが、ホストクラブの女性客は、自ら進んで客体化することによりオンナとしての自己価値を高めようとする。そして、そのオンナを武器に社会で活躍していくこと目論む女性もいる。だが、彼ら、彼女らが自らの意思と責任の下行っていると信じる自己実現に向けたプロセスそのものが、ホストクラブでは商品化され新自由主義経済の枠組みの中に納まってしまうのである。

1985年のプラザ合意以降、加工貿易を軸とした製造業中心の社会から、サービス産業を中心とした国内消費に頼る社会経済へと日本は急速に変化した。同時に新自由主義改革の下、より良い将来の構築は国家に依存するのではなく個人個人が自らの将来を思い描き、それぞれの人生選択をし、リスクを負うことも恐れず創造力を活かして自己実現を図ることが求められてきた。男性ホストも女性客もまさにそのような時代の申し子といえる。自己実現のプロセスまでもが資本として新自由主義経済の中に取り込まれかねないようなプロジェクトを、労働者として、消費者として「自由意志」の名において果たそうとしているのがホストクラブを取り巻く人々であると捉えることができるであろう。そのように考えると、この誘惑の舞台はホストクラブという特殊な空間に限られたものではなく、まさにこうした現代の日本社会のあり方そのものがこの誘惑の舞台にほかならないと捉えることもできるのである。

以上が竹山さんに講演していただいた内容である。私個人としては、過剰に消費やリスクのある生き方をもてはやす風潮や本人たちがそれらを美談として語る傾向は、一時期よりはなりをひそめたものの、現在でも決して無くなったわけではないと認識している。そして、本講演で論じられたような構造は日本社会に依然として残存しているだろう。そのような中、フィールドワークに加え、色眼鏡で捉えられがちなテーマと新規性のある手法の選択というリスクを背負いながら、時代背景とフィールドの実態を踏まえ、自らの意思で誠実に研究を遂行する竹山さんからは非常に感銘を受けた。もしかしたら、そのような竹山さんに情動を突き動かされた私も、やはり、誘惑の舞台に上っている一人なのかもしれない。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 荒井悠介

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第35回(2016年 6月17日)

「錯綜する<男らしさ>のポリティクス―プロ・フェミニスト男性運動の可能性と課題」

講師:多賀太さん(関西大学文学部教授)
司会:佐藤文香さん(一橋大学大学院社会学研究科教授)

参加記

第35回CGraSS公開レクチャーは、「錯綜する<男らしさ>のポリティクス―プロ・フェミニスト男性運動の可能性と課題」と題し、関西大学教授の多賀太氏にご講演頂いた。多賀氏は教育社会学の視点から日本の男性学をけん引してこられ、近年は日本におけるホワイトリボン・キャンペーンの設立に取り組み、精力的に活動されている。

今回のご講演で主なテーマとなったのは、「男性運動(men’s movement)」である。「男性運動」とは、フェミニズムや女性学の主張を意識しながら、男性たち自身で「男というジェンダー」を意識して展開されてきた社会運動のことであると多賀氏は述べる。つまり「男性運動」の基盤は、フェミニズムにおける「男性は女性に対する『抑圧者』であったり『権力者』であったりする」という主張、また「女性は社会的に作られた『女らしさ』に縛られているのだ」という主張に対する、男性たちからの様々なリアクションであるという。そこには、フェミニズムに反発する男性たち、フェミニズムに納得して自らの在り方を反省・自己変革しようとする男性たち、さらには「自分たちも社会的に作られた『男らしさ』に縛られているのではないか」と思い至り、「男らしさ」から解放されようと考える男性たちなど、様々なフェミニズムに対するリアクションをする男性たちの姿がある。

中でも今回、多賀氏は、フェミニズムに納得し、「女性たちの声を受け入れて、どう男性たちが変わっていけるのか、変わっていくべきなのか」という考えのもと行動する、「プロ・フェミニスト」という立場の可能性と課題について述べられた。「プロ・フェミニスト」とは、フェミニストに親和的な男性たちや、フェミニズムに共感する男性たち、フェミニズムとともに歩もうとする男性たちを指す。しかし多賀氏は、「女性の犠牲によって男性に利益をもたらす社会において、男性が男女平等のために行動することは、自らの利益を失うために行動することを意味する」と述べた上で、以下の問いを立てる。果たして、こうした「プロ・フェミニズム運動」を多数派の男性が行うだろうか。男性が主体的に男女平等の担い手になることが可能だろうか。可能だとすればいかにして可能なのか。そして、彼らを男女平等へと動機づけるものは何なのか。これらの問いに答えるために、多賀氏はこれまでアメリカや日本で展開してきた数々の男性運動と、「ホワイトリボン・キャンペーン」を事例とした「プロ・フェミニズム運動」について紹介され、男性たちを「プロ・フェミニズム運動」へと動員するためにはどうすれば良いのか、ということについて述べられた。

まず、男性運動の布置関係をとらえるために、多賀氏は、アメリカの社会学者であり男性研究者であるMichael Messner(1997)による、「男性の制度的特権」「男らしさのコスト」「男性内の差異と不平等」という3つの視点を紹介された。男性運動は一様ではなく、この3つの視点のそれぞれに敏感であったり無関心であったり様々な立場があるという。それらは「保守派」「メイル・フェミニスト(ラディカル・プロフェミニスト)」「男性の権利派」「マイノリティ派」などのイデオロギー的立場に腑分けされるが、多賀氏は、いずれかの視点に偏るのではなく3つの視点をバランスよく考慮することを、あるべき男性運動の形、つまり「プロ・フェミニスト」のとるべき形として提示する。

日本における男性運動へと視点を移すと、日本における男性運動は1970年代後半から、フェミニズムに対するリアクションとして起こったという。それらの運動は主に、仕事中心であった男性の人生の問い直しや、家事・育児への参加に関する問題意識から発展していった。1980年代になると、男性の性のあり方を問いなおす団体や、「少数派」男性が抱える問題について考える団体が発足する。こうした運動の流れを受けて、1990年代から日本における「メンズリブ」が誕生することになる。多賀氏は、「メンズリブ」はフェミニズムにおけるコンシャスネス・レイジング(個人の悩みを共有することで共通の問題を見出すことにつながり、個人の悩みは個人的なものにとどまるものではなく、社会的な問題なのだという気づきをもたらす処方箋として捉えることができる)の男性版としての性格を強く持っていたと述べる。1991年に関西で「メンズリブ研究会」が発足したのち、1995年には東京でも「メンズリブ東京」が発足、1996年からは男性運動の全国大会が展開されるなど、男性運動の拡大・拡散が進んでいったのが1990年代であった。

しかし、構成員を男性に限定する「メンズリブ」は、フェミニストから「男性だけで集まることは結果的に女性の解放にはつながらないのではないか」、「男性の特権性を見つめ返していないのではないか」という懐疑のまなざしを向けられることになる。だが、多賀氏は、男性の抱える問題を見つめなおしたり、女性の目線を気にせずに、まずは男性の抱える本音をさらけ出してもらったりすることが、大多数の男性たちにジェンダーの問題に気付いてもらうことにつながるのではないかと指摘されていた。一方、男性たちだけで構成された組織内では、これまでの男女における差異にとって代わる形で年齢による差異が生じるなど、新たな問題が散見されることもあったという。2000年代には、メディアや行政がそれまでメンズリブが担ってきた機能を一部代替し始めたことや、「父親世代」と「息子世代」における男性問題の捉え方の違いなどメンズリブに対するスタンスにも内部で様々な差が顕在化していったことなどが影響し、「メンズリブ」は衰退の道を辿ることとなる。

これまでの男性運動の流れについて説明されたのち、多賀氏は現在の男性運動として「ホワイトリボン・キャンペーン」について紹介された。これは、男性が主体となり、女性に対する暴力をなくすことに取り組む世界的な運動である。「ホワイトリボン・キャンペーン」の設立の背景には、1989年、カナダのケベック州にあるモントリオール工科大学において、女性の権利拡張への反対を叫ぶ男性によって引き起こされた虐殺事件がある。この事件を受け、1991年にマイケル・カウフマンらカナダの男性たちが中心となり、「女性への暴力反対」の意思表明として男性たちに白いリボンを身に着けようと呼びかける。こうして誕生したのが「ホワイトリボン・キャンペーン」であった。

多賀氏は、これまで男性の女性に対する暴力の問題については、「自分が責められているようで」積極的には考えることができなかったという。しかし多賀氏は、「暴力を振るわない男性が、暴力を振るう男性の代わりに罪の意識を感じる必要はないんだ。罪悪感からは何も生まれない。だけども、暴力を振るわない男性にも、女性に対する暴力をなくすためにできることがあるんじゃないのか。できることがあるのに何もやっていない。そのことを問い直してほしい」、というマイケル・カウフマンの講演会での言葉に心を打たれ、その後の日本における「ホワイトリボン・キャンペーン」を展開していくことになる。「この活動をすることでどれくらい社会が変わるのか」「男性中心の活動が女性たちの活動の妨げになるのではないか」との懸念は常にあるものの、大多数の男性たちに関心を持ってもらうためにと、この活動は男性主体で運営されている。

上記の問題意識をふまえた上で、最後に「プロ・フェミニズム男性運動」の可能性と課題について述べられた。男性をフェミニズムへの動員に動機づけられる可能性として、「男性の正義感や倫理観」、「身近な女性の受ける不利益について考える」、「男性の受ける『制度的特権』を放棄し、かわりに『男らしさのコスト』から解放されることの利益」、「リスクヘッジとしての男女平等」、「ジェンダー以外の側面における女性との共通性に基づいた男女の共闘」などの方途を提示された。また、研究・啓発における観点から、男性をフェミニズムへ動員するためには、「男らしさのコスト」と同時に「男性の得ている制度的特権」についても意識してもらう必要があると述べられた。また男性といっても一様ではないため、男性内の権力関係についても考慮し、さらに男性が抱いている可能性のある「本来持てるはずのものを持てていないはく奪感」をくみ取っていく必要もある。なおかつ「ホワイトリボン・キャンペーン」のように、女性が抱える問題に対して男性が主体的に、しかし反省的に関わっていくことができるように、男性たちをバランスよく運動に取り込んでいくような方法を提案された。「どうすれば社会が変わるのか」という問いは、「どうすれば男性が実際に変わるのか」という問いに、ひいては「どうすれば女性が実際に変わるのか」という問いもつながるという。研究者には、男性たちに向けて実用的なメッセージを出し、まずは運動に参加してもらうことを目指したアプローチを考えていくことが求められるのではないかと、多賀氏は結論づける。

今回「プロ・フェミニスト男性運動」について述べられた多賀氏のご講演に参加できたことは、男性が参加した形での男女平等の可能性について考える貴重な機会となった。「男性が主体的に男女平等の担い手になるためにどうすれば良いのか」という問いに対する答えは実に明快で、大多数の男性たちにまず興味を持ってもらうためにと、男性の持つ問題意識を逆手に取るように提案される戦略的な方法は、非常に魅力的であった。さらに、男性を中心に形成される「プロ・フェミニスト男性運動」が、いかにして女性たちやフェミニズムと共闘する可能性を有するか、ということについても深く考えさせられる、刺激的な内容であったと感じる。男性の問題が女性の問題へとつながり、女性の問題が男性の問題へとつながる。入口はどうであれ、そのことについて女性・男性ともに真摯に向き合い行動することが、社会全体における男女平等への第一歩となる可能性があるのだという、一つの希望を抱かせてくれたように思う。

 一橋大学大学院社会学研究科博士課程 関根里奈子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第34回(2015年 10月23日)

「何を怖れる―フェミニズムを生きた女たち」

講師:上野千鶴子さん(立命館大学特別招聘教授)
司会:佐藤文香さん(一橋大学大学院社会学研究科教授)

参加記

第34回CGraSS公開レクチャーは、「何を怖れる―フェミニズムを生きた女たち」と題して、1970年代のウーマン・リブ運動に始まるフェミニズムのパイオニアたちを描いた、同タイトルのドキュメンタリー映画(松井久子監督)を鑑賞した。そして上映後には、映画の出演者の一人でもある上野千鶴子氏(立命館大学特別招聘教授)と聴衆とのあいだで議論が交わされた。

映画「何を怖れる―フェミニズムを生きた女たち」は、1970年代のウーマン・リブ運動当時、20~40代であり、現在60~80代になった故人も含め15名のフェミニストたちのインタビューで構成される。ウーマン・リブ運動の思想を生みだしたリーダーたち、女性学を育てた研究者、戦争・軍隊・暴力が女性に何をもたらすかを問い続けてきた研究者と活動家、雑誌・書店・女性センターそれぞれのかたちで女性たちのネットワークを築いてきた活動家…。“年齢を重ね、回顧の季節を迎えた彼女たちが生きてきた歴史と、人生の厚みを、まだ間に合ううちに記録に刻み、次の世代に手渡したい”という松井監督の強い想いがこもった映画であった。

上映後は、フェミニズムに関する意見が取り交わされた。フェミニズムとレズビアンの関係/日本のセックスレスについてどう思うか。フェミニストはなぜ中絶ピルの導入を反対したのか…。男性解放運動はなぜ起こらないのか…。これらの聴衆からの質問に対する上野氏の応答は、「自分の問いを自分のために解く」というフェミニズムが提示してきたメッセージで貫かれていた。女性学もフェミニズムも当事者が自分自身を救済する運動であり、「女であることを愛する女たち」の運動である。社会は当事者が変えようとしない限り何も変わらない…という強いメッセージが込められていた。

さて、この公開レクチャーには、私の母も参加していた。ここで、映画「何を怖れる」に出演したフェミニストたちの同年代であり、異なる視点をもって同時代を生きていた母の感想を紹介したい。

***

私は上野千鶴子さんと同年代です(1947年早生まれ)。ウーマン・リブ運動については、冷ややかに一線を画していました。階級闘争の視点がなければ、また、組織的に運動しなければ、ただの女権拡張闘争ではないかと思っていたのです。

ただし、ウーマン・リブ運動の参加者と同様、学生運動に対する違和感は抱いていました。私は、地方の国立大学教育学部で社会科学を専攻していました。その大学の学生自治会は全国で唯一、反代々木系であり、あるひとつのセクトが執行部を握っていました。そのため、まわりには学生運動をしている人が大勢いました。当時、セクトの様子を見ていると、結婚している男性は経済的にも、育児も全部女性に任せて、“自分は世の中のためにやっているんだから偉いんだ”“女性が支えるのは当たり前だ”という空気がありました。口では平等を言うけれど、実生活は抑圧だ。こんな人たちに革命を起こさせては大変だと私は思っていました。

ジェンダーと接点を持ったのは、40才半ばでした。教員をしていた私は、転勤先の小学校で男女平等教育に出会ったのです。目から鱗が落ちるとはこの事でした。混合名簿、男女わけない並び方、呼び方(全員“さん”づけ)、男女関係なく、混ざった風景。“男として”“女として”を意識する事ないジェンダーフリー教育を目指していました。学校運営も、役職を校長が任命するのではなく、教員の希望や互選や輪番で学級担任、教務主任、生活指導主任等を決めていました。実に民主的で居心地のいい職場でした。

今日の映画を見て、ウーマン・リブ運動に対する誤解が解けた気がします。女であることを否定している訳ではない。男を否定している訳でもない。つまり、人間としての解放を目指していたのだという事。それは、私が学生時代に抱いていた疑問と同じでもあり、40代半ばで出会った職場で目指していたものでもあったのです。

映画の後の議論の中で、日本は変わったのかという話がありましたが、私は大きく変わった面もあると思います。少し長くなりますが、私が「女は損だ」と思わされたエピソードを2つ紹介します。

最初は、高校受験のときでした。県立高校を学区外から受験するのを許された年で受験枠がありました。私は、旧制中学の流れを組むA高校を受けたいと思っていたのですが、中学校の先生から「女だからB高へ行け」と言われ、旧制女学校の流れをくむ事実上女子しか入学していないB高校へ進学しました。私がA高に行かない事で、男子が一人助かり、中学校の進学率も上がったと後で分かりました。この時、初めて「女は損だ」と思いました。

二回目に思い知らされたのは、就職の時でした。中学社会科の募集は皆無。高校は、近隣県では募集がなく、唯一、東京都で募集していました。教員採用試験の合格通知は来ましたが、年度末近くになっても、なかなか採用通知が来ないので、東京都教育委員会に出向いて、理由を聞くと「女の社会科の教員は採用しないよ。高校闘争をどう収拾するんだ。あんたが、国語か英語なら採るよ。」と言われました。この時は、そんなものかと思っていました。まだセクハラという言葉もなかった時代です。仕方がないので、その後、通信教育で、小学校教員の免許を取り、就職しました。

今、この2つの事件が起きれば、明らかに「男女差別」であると言われるでしょう。40~50年という期間を長いとみるか短いとみるかは人それぞれだと思いますが、私はずいぶん変わったと感じています。映画そして上野千鶴子さんのお話し楽しかったです。

***

ちょうど、戦後の女性労働運動をテーマにした博士論文をまとめている最中だった私にとって、この公開レクチャーを通じて、ウーマン・リブ運動のパイオニアたちの経験だけでなく、偶然にも同時代にリブと一線を画しながらも女性解放を考えていた母の経験とを同時に知ることができたのは、非常に刺激的であった。40年後の世代である私は何を受け取るか…。そして、1970年代の女性たちの経験を研究者としてどのように受け止めていくのか。この問いに対する重厚な返答はできないのであるが、ひとつ、確実に言えることは、「自分の問いを自分のために解く」というフェミニズムの提起を心に留めていきたいということである。以前、研究プロジェクトでのフェミニズムのパイオニアたちへのインタビュー調査の中で、「正論を言うと相手は身構えるから、ビジネスの場では正論を言わないのがマナーだ」といういわゆる男性社会の論理に翻弄され「どんな言葉を投げかけたらいいのか…」と悩んでいた私に対して、“言葉でなくとも、生き方が言葉になる”と励ましてくださった方がいらっしゃった。映画に登場する彼女たちの生き様は、まさに強烈なメッセージを私に与えたように思う。松井監督と映画の出演者たちのメッセージを胸に、これからの人生を歩んでいきたいと決意を新たにした。

 一橋大学大学院社会学研究科博士課程 跡部千慧

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第33回(2015年 7月15日)

「ヴェールの政治学―ジェンダー・身体・植民地主義―」

講師:サミア・シャラさん(映像作家)/アブデラリ・アジャットさん(パリ西大学准教授)
司会:森千香子さん(一橋大学大学院法学研究科准教授)

参加記

第33回CGraSS公開レクチャーは、「ヴェールの政治学―ジェンダー・身体・植民地主義」と題して、サミア・シャラ監督『マダム・ラ・フランス—私はなぜムスリムになったのか』(2013年、52分、フランス)の上映を行った。そして上映後に、監督である映像作家のシャラ氏と社会学者のアブデラリ・アジャット氏(パリ西大学准教授)と聴衆とのあいだで議論が交わされた。本レクチャーは科研費「EUにおけるレイシズムの新展開と社会構造の比較研究」と  一橋大学国際交流セミナーとの共催でおこなわれた。
現代のフランスにおけるイスラーム教徒女性のヴェールに関する「問題」は、本レクチャーの表題である「ヴェールの政治学」と同題のジョーン・スコットの著書の李孝徳氏による翻訳をはじめ、多くの研究書や映像作品などにより日本でも知られている。しかし、本作「マダム・ラ・フランス」は、これらの先行する「スカーフ問題」を紹介する諸著作と別の視座を与えている。その鍵となるのは「対話」と「旅」である。以下では、映画と上映後の議論を振り返りたい。

本作は二つの対話により構成されている。まず、作家と「マダム・ラ・フランス」、そして作家と彼女の叔母との対話である。

「マダム・ラ・フランス」、フランス語ではフランス(la France)は女性名詞であり、「自由・平等・博愛」というフレーズとともにマリアンヌという女性が共和国の象徴とされている。そのため、移民一世は女性に対する敬称であるマダムをつけ、この国のことをこう呼んだ。第一の対話は、作家がアルジェリアにいる時から始まっていた。だが作家は、独立後のアルジェリアで成長したため、ゾラやユゴーのような文学作品やボーヴォワールに代表されるフェミニズム思想などの影響を受けたものの、彼女にとってフランスは未知の国でもあった。両者の関係は、イスラーム復興運動の台頭をめぐるアルジェリア社会の変化により転換する。イスラーム救国戦線の選挙での勝利と軍のクーデターによる「暗黒の十年」と呼ばれる内戦の勃発により、作家はフランスに亡命する。作家は、彼女と「偉大なる貴婦人」との関係を「付き合い始めて20年、ケンカばかりしてきた」と評している。そしてそれは、多くのアラブ系移民が共有するこの貴婦人との関係である。しかし、亡命アルジェリア女性はフランスに「歓迎」された。ただ、それはフェミニストであり、民主主義者であり、非宗教的であり、反原理主義者であるという条件の下での寛容であった。その寛容の閾を踏み外すとき、つまりムスリムとして在るときに、彼女をはじめとするアラブ系移民は「ケンカ」せざるを得なかった。その過程をつうじて、彼女はアラブ人でありムスリムとなった、と言う。ムスリムで在ることは、非宗教性を要求するフランスにおいて寛容の閾からはみ出す要因となりやすいが、状況は9・11により悪化した。

9・11事件以後、フランスでは原理主義者あるいはテロとの戦いにおける「敵」は、ムスリム一般に敷衍され、特に「スカーフ問題」により事態はより悪化する。「マダム・ラ・フランス」は訳知り顔で、饒舌に、そして一方的に「イスラーム」や「ムスリム」について語る。作家は、マダムとの対話の扉をいったん閉じ、故郷アルジェリアのカビール地方へと第二の対話のため旅に出る。作家の家族のうちで最長老である叔母の昔話——文字を解さない老女は歌により語る——は、貴婦人が誇る歴史、つまり植民地主義の暴力を詳細に作家と私たちに示している。この老女が語ったことは、植民地主義の暴力はアルジェリアの土地を収奪のみならず、アルジェリアの女性へと顕著に働いたということである。植民地主義は内面から破壊する。そして、その最初の対象が女性であった。そしてこの暴力が対象とする女性は、植民地主義の男性性により構築された幻想でもあった。作家はマダム・ラ・フランスに問いかける。「私にとっても、〔あなたが描く植民地の女性像が〕珍妙な世界だと分かる?」と。そして、作家はヴェールをまとう。色とりどりの、そしてさまざまなスタイルのヴェールだ。これらのヴェールの多様性は、私たちに「スカーフ問題」において問題とされるヴェールがいかに実際に女性(とりわけ少女)たちか着用するヴェールと異なるかということだけでなく、「スカーフ問題」が否定しようとする多様性が、まさに植民地主義の暴力が破壊しようとした多様性であるということを私たちに告げている。ヴェールを脱げと植民地主義の暴力は要求し、その要求に応えた女性を統治に利用した。「マダム・ラ・フランス」は、今日再びヴェールの着用を禁ずる。そして、植民地主義以来脈々と引き続いている寛容の閾の内に「移民」とされる人々が在ることを求めている。

作家は、終盤に以下のように語っている。「アルジェリアではスカーフの強制と闘った。フランスでは着用の自由を訴えている。不思議?私には同じ闘い。国家は法で女性の身体を縛る。「女性解放」と言うけれど当事者の声は聞かない」。この語りは、作家のこれまでの闘いを明瞭に示すとともに、「マダム・ラ・フランス」と移民たちの対話を不可能にしている状況を鋭く指摘している。この語りをフランス社会が理解すること、そのことこそがムスリムたちがもとめる「平等」の可能性の条件である。

さて、このように本作を振り返ってみると、本レクチャーは第三の対話と位置づけられる。この対話の意義は、従来日本語圏で理解されてきたように「スカーフ問題」やフランスにおけるムスリムという存在の問題化がフランス社会に固有あるという理解以上の理解が共有されたことである。シャラ、アジャット両氏のさまざまな背景を持つ日本語話者の聴衆に対する熱心な対話的な姿勢により、本レクチャーはこの問題がフランス的な性格だけではなく、普遍性も理解する機会となった。植民地主義の暴力の行使者としての歴史を持ち、かつその歴史を「誇り」に改変する試みが顕在化する日本という国で、シャラ、アジャット両氏がフランスの状況や二人の経験を語ることは意義深いことであった。そして、この対話が成立した条件は、媒介である映画作品への字幕作成者たちの努力とさまざまな観点からなされた質問とその回答を正確にシャラ、アジャット両氏と日本語話者の聴衆に伝えた通訳の高野勢子氏の仕事があったことを最後に指摘したい。

付記:本レクチャーと関連した著作、映画として以下があげられる。
ジョーン・W・スコット『ヴェールの政治学』李孝徳訳、みすず書房、2012年。
ジェローム・オスト監督『スカーフ論争——隠れたレイシズム』(フランス・2004年・75分)

  

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 南波慧

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第32回(2015年 6月24日)

「Narcopolitics, Necropolitics and Femicide/麻薬政治、死政治、女性殺人—メキシコからの教訓—」

講師:メリッサ・ライトさん(ペンシルベニア州立大学地理学科/女性学科教授)
司会:伊藤るりさん(一橋大学大学院社会学研究科教授)

参加記

CGraSS公開レクチャーシリーズ第32回は、「麻薬政治、死政治、そして女性殺人:メキシコからの教訓」というテーマで、ペンシルベニア州立大学地理学科、並びに女性学科教授のメリッサライト先生をお迎えした。フェミニスト、そして地理学・政治経済学の研究者であるライトさんは、米国とメキシコの国境沿いフアレス市における女性に対する暴力と不処罰の実態、そしてそのような不正義と闘う反女性殺人の社会運動について「ウーマン・イン・ブラック」という女性グループの活動を取り上げ、講演を行った。

まずレクチャーの冒頭で、反女性殺人への抗議行動として黒い服に身を包み、ピンク色の十字架を掲げた女性たちがフアレス市の通りを練り歩く写真と共に、問題の背景と運動の状況が示された。フアレス市は、グローバル化の進展とともに工業化が進み、多くの農村地域出身の女性労働者によってその発展が支えられてきたが、1990年代以降から多くの女性や少女らが日常的な暴力や殺人の対象となってきた。このような危機的状況において何の対策も講じてこなかったメキシコ政府に対して懸念の声をあげたのが、女性活動家たちによるローカルな反女性殺人運動「ウーマン・イン・ブラック」である。

本レクチャーで、ライトさんは「女性殺人」、「不処罰」そして「死政治」といった幾つかの重要な概念を提示した。「女性殺人」とは、本来女性が女性であるがゆえに殺される犯罪を意味してきたが、メキシコの反女性殺人の運動で用いられた「femicidio(女性殺人)」というスペイン語の概念は、従来の意味に留まらず、犯罪者が国家によって保護され、処罰が下されないという「不処罰」の意味を含んでいる。これは独裁政権を引き摺り下ろす際にラテンアメリカの社会運動家たちが使った考えであり、現在では、先住民、貧困層、そして女性たちが日常的に直面する国家のテロ、労働搾取、そして政治的腐敗を説明するために広く使われている。

次に「死政治」という概念は、南アフリカの学者アキーユ・ンベンベがフーコーによる生政治の概念を補足修正的に提示したものである。この生政治の議論を出発点としながら、ンベンベはポストコロニアルな文脈における、より政治的に不安定な国家を引き合いに出しながら、政治とは、誰が死に、またその一方で誰が生きるのかという決定を通じて主権が表出する、恒常的な闘争の一形態として理解できると主張した。ライトさんは、本レクチャーを通じて、このンベンベの死政治の概念を念頭におきながら、女性に対する暴力を矮小化し、女性殺人を正当化する政治的戦略とその裏にある死政治による統治に対して、「ウーマン・イン・ブラック」の活動がいかに抵抗してきたかを示そうとした。

まずライトさんは、「ウーマン・イン・ブラック」の女性たちが運動を展開するにあたって直面した困難と矛盾について述べた。女性たちは、抗議行動を通じて女性が公共空間に存在する権利を主張したが、「あばずれ」や「売春婦」を意味する「パブリックな女」すなわち不適格な市民として見做され非難された。そのため「ウーマン・イン・ブラック」の女性たちの多くは、すでに政治家や運動家としての公共のアイデンティティを持っていたにも関わらず、この運動の正当性を高めるために、家族の行方について心配する「家庭的な女性」としての自己表象を選択せざるをえなかった。女性たちは、売春婦を「汚れた女性」であるとする性差別的な認識が広く共有される社会において、その言説的文脈の制約から完全に自由であることはできなかった。

こうした女性たちの戦略は、アルゼンチンにおける「5月広場の母親たち」の運動――軍事独裁政権に対して「私たちの子供はどこ?」という問いを「喪に服す母親たち」として突き付けた――から示唆を受けたものだった。ライトさんは、このような非暴力的な母親としての像を用いることが、メキシコ政府に対して一定の効果を発揮し、ラディカルなものであったと指摘した。なぜなら、子供たちが家に戻るのであれば、抗議行動を行う母親たちもまた家庭へと戻ることになるが、行方不明になった、あるいは殺された女性や少女たちは既に亡くなっていることが明らかであったので、実質上この女性たちは家に戻らない革命戦士として、永遠に抗議を継続するということが含意されていたからである。

ライトさんのもう一つの重要な指摘として、被害者の女性に対するスティグマ化とそれに対する運動側の戦略が挙げられる。政府の役人は、被害者らが昼間は工場労働者、そして夜は売春婦として二重生活を送っていたという疑惑をまき散らすことによって、女性殺人の問題を矮小化しようとしたのである。被害者を「売春婦」と名指すことによって、被害者に責任を転嫁し、その暴力的な死を正当化する戦略はパブリックな女性に対する言説に深く根ざしている。このような女性に対する犯罪の重要性を退けようとする動きに対抗するために、「ウーマン・イン・ブラック」の女性たちは、女性殺人の被害者を「無垢で純真な娘たち」、そして自らをその娘たちを探す「母親たち」であると描写する以外に選択肢は無いと考えた。ライトさんは、被害者を教会へ行くような「無垢で純真な少女」であったという公のレトリックを使わざるを得なかったことは、運動家の女性たちにとって残酷な難問であったが、公共における女性の存在を正当化するためにプライベートなアイデンティティを源泉としたこの戦略は、メキシコ政府に対する国際的な圧力を高めることに成功したと指摘した。

では、このような「ウーマン・イン・ブラック」の運動は、世界における他の運動にどのような教訓をもたらすことができるだろうか。例えば、現在メキシコでは「麻薬戦争」によって多くの命が奪われている。2014年9月に、師範学校で学ぶ若者たちが、政府への全国的な抗議行動に参加しようとした際に、政府のエージェントによって殺され誘拐された。ライトさんは、この学生たちをあたかも麻薬ギャングの一員であったかのように見せようとした政府のやり方は、まさに被害者に責任を転嫁する死政治そのものであり、「パブリックな女性」言説が、麻薬戦争で死ぬ者はみな麻薬組織の関係者であったとする言説と同型であることを指摘した。ここに女性殺人に対する闘いが、他の社会的浄化を意図する死政治に対する闘いにもたらす教訓を見て取ることができるだろう。

レクチャー終了後、会場からは多くの質問や感想が挙げられた。その一つに、現在メキシコの麻薬政治の文脈における政府への抵抗運動に、女性殺人に関する展開との類似が見出されるとするならば、いったいその運動にはどのような矛盾が秘められているのかという問いがあった。ライトさんは、現在の師範学校の学生に対する攻撃を発端とする政府への抵抗運動が、メキシコにおける国の将来を担う「学生たち」への攻撃であることを強調することで、広く世論の支持を受けてきた一方で、被害者を「学生」というフレームで捉えることによって、そこからどのような被害者がこぼれ落ちてしまうのかという問いを立てる必要があると述べた。

本レクチャーは、メキシコでフィールド調査中に大変世話になっていたご家族の息子が殺されるという出来事に遭遇した私個人の経験を振り返る上で貴重な機会であった。19歳という年齢で身を粉にして働いていた青年は、無残に命を絶たれただけでなく、警察から犯罪者の一味であったという嫌疑をかけられていた。結局、家族らは彼の死の真相を追及できないまま泣き寝入りせざるを得なかった。メキシコにはこのようなライトさんが指摘した死政治が蔓延していることを、身に染みて実感する辛く苦い経験であった。このようなメキシコの現実に対する簡単な処方箋は存在しないかもしれないが、ライトさんの講演を拝聴し、死政治に抵抗する社会運動の持つ可能性にわずかな希望を見出した。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 飯尾真貴子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第31回(2015年 4月24日)

「Slavery, Islam and the Making of Race and Sex in South Africa/南アにおける奴隷制、イスラム、そして人種と性の構築」

講師:ハベバ・バデルーンさん(ペンシルベニア州立大学女性学科准教授、詩人)
司会:中井亜佐子さん(一橋大学大学院言語社会研究科教授)

参加記

第31回CGraSS公開レクチャーは、「南アにおける奴隷制、イスラム、そして人種と性の構築」と題し、ペンシルベニア州立大学准教授のハベバ・バデルーン氏にご講演頂いた。バデルーン氏はケープタウン大学で博士号を取得し、詩人としても活躍されている。今回の講演では、氏のご著作Regarding Muslims: From Slavery to Postapartheid (Wits University Press, 2014) から、南アにおけるムスリムの表象とその歴史的考察を、ケープ植民地支配を支えた奴隷制と性暴力の観点からお話し頂いた。

まず、導入として、現代の南アの大衆文化におけるムスリムのイメージを紹介された。ムスリムの人口に占める割合は2%以下で、マイノリティであるにも関わらず、漫画や大衆的な絵画・料理本の中では、ケープマレーと呼ばれるムスリムの像であふれているという。しかし、一般的に流通しているイメージは、親切なマレーの洗濯女や料理人、そして従属的なマレー男性といった偏ったムスリム像である。このような温和なムスリム像は、17世紀のケープ植民地にイスラム系の人々が連れてこられた奴隷制のトラウマを消去するものであり、南アにおいてムスリムの可視性と不可視性をめぐる緊張関係を表していると氏は指摘する。

そのため、まず、南アにおける奴隷制とムスリムの関係を歴史的にひもとく必要がある。ムスリムは、1658年に初めてケープ植民地に奴隷やオランダ人の使用人として連れてこられた。オランダ東インド会社は先住民の奴隷化を禁止したため、その代わりとして、奴隷労働力を輸入して使用することにした。当初西アフリカから運ばれてきた奴隷は、その後はインド洋のオランダ領地から調達することになる。 そのため、ケープ植民地の奴隷となった人々の過半数は、東アフリカを含むインド洋地域、インド洋のアフリカの島々や南アジア、東南アジアから連行された。彼らはアフリカとアジアの様々な言語を母語に持ったが、マレー語をリンガフランカとして用いた。その後徐々に「マレー」という単語が、ケープ植民地においてムスリム一般を指すものとしてつかわれるようになった。ムスリムを表すようになった「ケープマレー」という言葉は、奴隷の出自の歴史に影響を受けているのである。

次に、バデルーン氏はイスラムと人種の関係について詳述する。先述した奴隷制の歴史は、その後、オランダとイギリスの帝国主義による人種主義的な要請と、アパルトヘイトによって書き換えられることになる。1950年には、国民党政府は人口登録法を通過させ、アパルトヘイトを築くが、この法律の下で、白人・カラード・ネイティブ、という3つの法的な人種分類が作り上げられた。1959年の人口登録法の改定によって、今度は4つの集団が作られる。その際には、白人・カラード・インド人・ネイティブという分類に代わり、カラードの下に、サブカテゴリーとして「ケープマレー」が加えられた。 ムスリムをカラード・インド人・ケープマレーとして人種化することは、植民地の南アフリカで176年間にわたって中心的な社会勢力だった奴隷を、マイノリティに変容させる効果があった。その結果、奴隷制は、南ア史の中で、それぞれの人種集団の例外的な問題だと考えられてきたのだ。このマイノリティとしての位置は、彼らが建国期に重要な役割を果たしたことを歴史からかき消してしまう。奴隷は、南アフリカにおける「最初の近代的な人々」として記憶されるのではなく、エキゾチックで「時間を超越した」存在へと変えられ、ピクチャレスクで美しい過去のものだと考えられるのだ。

その後、バデルーン氏は、南アにおける奴隷制・人種・セックスの関係性を分析する。奴隷を美しくピクチャレスクに描くことの最も重要な問題点の一つは、奴隷制が南アのセクシュアリティと人種の概念に強い意味を与えたことを、忘れ去ってしまう効果がある点であり、さらに、体制的な性暴力という奴隷制の遺産に、意識が全く向かなくなることだと彼女は論じる。

南アのジェンダー状況は、奴隷制と強い関わりがある。1830年までに、ケープ奴隷の2/3は家庭内労働に従事しており、奴隷の主な役割となっていた。加えて、奴隷制がしかれた時期は、常に植民地のジェンダーが不均衡だったため、植民者にとって、奴隷女性と自由黒人女性が結婚相手の候補となった。白人男性にとってマレー女性がエキゾチックで官能的だとみられていたことは、様々なアーカイブから読み取ることが出来るとバデルーン氏は述べる。例えば、ケープの19世紀から20世紀初頭の新聞のアーカイブを読むと、「マレー少女」の魅力が、新聞にしばしば掲載されている。このようなマレー女性の魅力に対する植民者の熱狂やステレオタイプ化は、植民者のマレー女性に対する性的搾取を自然なものにした。

最後に、ケープにおいて、性的搾取が体系的に行われていたことは、都市の名前にもあらわれていると彼女は述べる。オランダ語で「ケープの」という意味を表す、「van den kaap」は、ケープで生まれた奴隷の名字として使われ、異人種間の結婚によって生まれた子どもであることを示唆した。この名前を持つ人々は、しばしば、所有者による奴隷女性のレイプ、または、強制的に売春させられた奴隷女性の妊娠の結果であることがほとんどだった。そのため、この名前は、ケープの奴隷制を特徴付けた性暴力の存在を証明するものとなった。この都市の名前が、オランダ支配下において奴隷女性が経験した性奴隷の歴史を証言するものであり、ケープの奴隷を表象する際の美しく、ピクチャレスクな伝統の根底にある暴力の記憶を呼び覚ますのだとバデルーン氏は結論づける。

私は南アフリカの現代文学に関心があり学んでいるのだが、バデルーン氏の講演に通訳として参加できたことは、中心的に論じられることが少ない南アのイスラム系の人々について詳しく知る貴重な機会となった。また、アパルトヘイトの人種政治において見られた本質主義的人種観の矛盾を、ムスリムの人種的不安定性からも確認でき、刺激的な講演であった。

一橋大学言語社会研究科修士課程 西あゆみ

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第30回(2015年 2月 2日)

「親密な関係にかんする市民権――異国籍同性カップルが日本で子どもを産み育てる場合」

講師:青山薫さん(神戸大学文化学研究科教授)、リル・ウィルス(心理カウンセラー)
司会:宮地尚子さん(一橋大学大学院社会学研究科・教授)

参加記

 第30回CGraSS公開レクチャーシリーズは、「親密な関係にかんする市民権――異国籍同性カップルが日本で子どもを産み育てる場合」というテーマで、青山薫さん、Lil Willsさんのお二人にお話しいただいた。青山さんはセクシュアリティの研究者でLilさんはカウンセラーであるが、今回は同性カップルとしてのお二人の経験から親密な関係にかんする市民権についてお話をしていただいた。まさに個人的なことから政治的なことを考える企画であったと思う。

お二人は2009年にイギリスで市民パートナーシップ(Civil Partnership)【※】に登録し、日本で暮らすことになった。異性愛者で同じ国籍の者同士であれば当人の意志で済むかもしれないこの決断にも、法制度が関わってくる。周知の通り日本では同性間の法的な関係が認められずLilさんは青山さんの配偶者としては入国できないため、学生としてビザを取得したそうである。2010年以降、子どもを産み育てるために(生物学的な)「父親」を探すことになった。女同士で子どもを持つには、養子縁組やマッチング・サイトを通じた友情結婚などの手段もあるが、日本で同性カップルが養子縁組を利用することはできず、友情結婚も名前を継ぐ・墓を守るなどの条件があるため、精子提供者を見つけて妊娠出産するという方法をお二人は選択された。青山さんは既に最初の結婚時に産んだお子さんが成人しており、当初「なぜ同性同士でそんな面倒な事をしなければならないのか」と思ったそうである。しかしLilさんが子どもを望んでおり、またイギリス滞在中にゲイ・レズビアンカップルの間で子どもを望むことが「当たり前」となっているのを実感して「随分意識が変わった」とおっしゃっていた。こうした変化は、青山さん個人だけでなく社会の中でも起きているというお話が印象的であった。青山さんは、最初に英国に行った1999年と、市民パートナーシップや同性婚に関する様々な法が整備された現在とでは、同性カップルに対する社会的な眼差しが全く異なるとご指摘された。

お二人のお子さんは2014年に誕生したが、そこに至るまでのプロセスにも様々な制度が関わっていたことを教えていただいた。まず、同性カップルは法的な保証がないため、「父親」との間で契約書を交わしたそうである。そして、これも子どもを持ちたい同性カップルにとっては有益な情報なのだと思うが、お二人は出生後認知ではなく生まれる前に「胎児認知届」を区役所に出した。出生後認知だと裁判所を通らなければならないため、より手続きが煩雑になるそうである。お子さんは英国人のLilさんから生まれたため自動的に英国国籍は取得するが、日本国籍も取得するために日本国籍の父親の認知が必要だった。そうすると、Lilさんも「日本人の配偶者等」というビザで日本国籍の子どもの親として留まることができるとのことである。Lilさんのビザについてもこれまで様々なご苦労をされ、それでもLilさんが英語ネイティブで白人であることで「同性カップルの中でも恵まれた方だと思う」と青山さんはおっしゃっていたが、私も含めて上記のような煩雑な手続きをする必要がない異性愛者はどれほど「恵まれている」のかと考えさせられた。

日本国籍男性と結婚していない外国籍女性の間の子の胎児認知は、2006年にフィリピン女性が裁判を起こして可能になったそうである。お二人はまず、胎児認知する日本国籍の男性を見つけるのにも困難を経験された。その男性が良くても、認知すると戸籍に載るため家族の問題になってしまうからである。また、認知届けを出すためには、子の母が子の父ではない別の男性と法的に婚姻関係に「ない」事を証明しなければならない。結局どのような経緯かは明かされなかったものの胎児認知は受理されたが、これも同性カップルの法的な地位が保証されていれば悩まなくて済む問題だろう。

最後に、青山さんは親密な関係にかんする市民権(Intimate Citizenship)についてご紹介された。これは、「人がどんな親密な関係をもっても社会的に排除されたり不利益を被ったりしない権利」である。青山さんは、ケン・プラマーの『セクシュアル・ストーリーの時代』(桜井厚ほか訳、新曜社、1998)を参照して、市民社会において犯罪者や精神病者とされてきたホモセクシュアルの人々が、同じ境遇の者同士で苦しみや悲しみや怒りを言語化して共有し、自らの「個人的な問題」を市民社会の公の議論に転化させてきた歴史の中で生まれた考えであるとご説明された。この権利に基づいて、パートナーシップや同性婚の制度が近年確立されてきている。こうした制度には批判もあるが、お二人が直面した困難は、まさに同性カップルの関係が制度的に保証されていないために生じたことである。また、異国籍のカップルでもあるために英国と日本における同性カップルの法的な地位の違いも影響を与えている。研究者が個人的な経験をこうしたレクチャーの場で語ることは珍しいことかもしれないが、同じような問題を抱えている人にとっては、情報や感情を共有できる場であり、またそうではない人にとっても普段考えることの少ない(考えずにすんでいる)現状や近年の変化を知ることができる場であったと思う。多くの事を教えていただいた青山さんとLilさんと、素晴らしいレクチャーを企画してくださった関係者の皆様に御礼申し上げたい。

※2005年12月21日施行。16歳以上の同性パートナーが登録可能で、異性夫婦と同等の権利義務があるが「結婚」とは異なる。2013年3月13日施行のMarriage(Same Sex Couple)Actにより、イングランド・ウェールズでは同性婚が可能になった。(スライド資料より)

関東学院大学等非常勤講師 中村江里

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第29回(2014年12月12日)

「いま、男子の性は~私は大学生に何を学ばせようとしたか」

講師:村瀬幸浩さん(日本思春期学会名誉会員、"人間と性"教育研究協議会幹事、季刊『SEXUALITY』副編集長)  
司会:坂なつこさん(一橋大学大学院社会学研究科・教授)

参加記

第29回CGraSS公開レクチャー・シリーズは「いま、男子の性は~私は大学生に何を学ばせようとしたか」と題し、本学で26年にわたって共通教育科目の「ヒューマンセクソロジー」を担当された、村瀬幸浩氏にご講演いただいた。

氏が教育者、また研究者として性教育の現場に携わるようになった当時は、産婦人科医を中心に性トラブルに巻き込まれないための知識を教えることが主な目的であった。具体的には、第1に予期しない妊娠を防ぐためのピルやコンドーム等の避妊に関する知識、第2にAIDSなどの性感染症や性病に罹るのを防ぐための知識、第3に性暴力の被害に遭わないための知識である。しかし科学的知識の伝達だけでは学ぶ側がその知識を使えないという問題があった。氏は、それらの知識を無意味なものとしない為には、それを関係性の中で表現しなければならないということに気づく。その際、次の2点が重要になる。第1に関係の質である。男女の関係は平等・対等か、望ましい性関係とは何かということであり、この点はジェンダー研究において深められてきた。第2にセクシュアリティの問題、換言すればセックスに関する教育である。セックスについて語ることは下品なことでは決してなく、人間にとって有意義なことであるという前提を確認した上で、そもそも人間にとってセックスとは何かを問うと、以下3点が挙げられる。まず生殖、そして快楽、最後に支配である。3点目は他の動物にない現象であるとともに、2点目と3点目の違いは紙一重であることを自覚しながら、氏は2点目を徹底的に肯定する立場をとる。つまり、性を人権、アイデンティティ、文化として捉えるのである。

以上のように、氏の性教育の主要テーマは知識→関係性→快楽へと移行して来た。それに伴い、氏は“男性が変われば関係が変わる”という考えの下、“男性の意識改革”に取り組み始めた。いかに男性の意識改革をするのか。それには、体の仕組みを理解することに立ち帰る必要があった。それは一方で、男性が家庭や学校、社会において、自身の性についてまともに学習したり、教育を受けたりすることがほとんどないまま育って(育てられて)きたからであり、他方で、「男子の性」が少ないながらに語られる際は、話題がセクハラやDV、レイプなど攻撃的・暴力的・自己中心的なものに偏っていたからである。前者のように放置された環境の中では、男子はアダルトビデオ(AV)などを通じ手探りで性に関する情報を集め、根拠のない「確信」を積み重ねる結果、更に孤立を深めるという状況があった。また後者のように“性の豊かさ、あたたかさ、コミュニケーション”について聴く・語る・学ぶ機会がほとんどなく、自らの性や性そのものをよきものとして認識しながら育つことが困難な環境では、男性が自分の性や相手の性を大切にしたり、優しく慈しんだりするという柔らかな性関係を紡ぐ力が培われない状況にあった。これらの問題点を克服し、体の仕組みの理解に立ち帰る上で課題に挙がったのが、自らの性を卑しんだり不潔視したりすることから解き放つということである。その具体的実践の1つが射精学習のすすめである。提示された調査結果からは、男性の中には射精を白くて粘っこくて膿みたいで汚いもの、また尿道を通ることを不潔と感じたり、気持ちのいいことも何か卑しく後ろめたく思ってしまい、マスターベーションに自己嫌悪を抱いたりする人がいることがわかった。そうではなく、マスターベーションを“セルフプレジャー”として積極的・肯定的に受け入れることが目指される。つまり、性的欲求を自己管理することで自信をつけ、健康やセルフケアの視点から自身と他者の体や性器への愛着・扱い方を学ぶことで、主体者として性に関わっていく力を培い、性の快楽性への認識を深めることが求められるのである。また、男性の意識改革を進める上での課題として、「男らしさ」という男性ジェンダーが男性自身を苦しめ、縛るという点も挙げられる。具体例の第1が男性の性被害である。いたずらや悪ふざけとして無視・軽視されやすいが、本人にとっては虐待・屈辱であり、自傷や引きこもり、更には加害に向かうこともある深刻な問題である。第2は、AVに代表されるポルノ情報が性意識、性行動、セックス観、女性観を規定し、性が幻想化・記号化されてしまうということである。男性の中にはそのような幻想化・記号化された性に嫌悪感を抱く人もおり、“柔らかい性”の関係づくりの阻害要因となっている。この点に関して男性のメディアリテラシーを育むことが必要であることが強調される。男性ジェンダーをめぐっては、メディアを中心に(元々が「肉食」だったかは別として)「草食化」という現象が語られている。伝統的規範としての「マッチョ」と「草食系男子」という二分化の進行は男性ジェンダーが男性自身を縛るという問題と無関係ではないだろう。最後に、氏は改めて男性への性の学習について問い直し、その目的を4点指摘された。第1に自らの性に対する自信と安心を取り戻し、科学性・関係性・多様性を基軸に据え、男性が女性と関係を紡ぐ力を培う新たな学び、第2に女性の性への理解を深めること、第3に生殖の可能性を持っていることへの自覚を促す、そして第4に多様な性のあり方に対する認識を育むことである。講演後の質疑応答では、「臨床性護士」(*性を人権として捉え、障がい者の性に関わる問題解決を支援する団体ホワイトハンズによって提唱されている)との比較で、売買春や風俗を利用することをどう捉えるか等の質問が出され、活発な意見交換が行われた。

ジェンダー研究の門外漢である自分が今回の講演で印象的だったことは、氏が授業のコメントペーパー等を通じて学生(特に本学では過半数が男性)の声に耳を傾け、研究と教育を相互に密接に結び付けながら活動を進めてきた点である。本学の卒業生としては、珍しく「ヒューセク」を受講していなかった者として、氏のお話を伺う機会に恵まれ大変嬉しく思った。というのも中高一貫の男子校で保健の授業がなく、思春期に性教育を受けたこともなかった。その結果、氏が言及した多くの男子のように、AVや友達との会話などを通じ手探りで性に関する情報を集め、快楽よりはむしろ嫌悪感を抱き、生殖を目的としない性に関する行為の意義に疑問を持ったこともあった。今回のようなお話をもっと早くに聴けたらと思った。尚、今回の講演は、2014年に大修館書店から上梓された『男子の性教育 柔らかな関係づくりのために』をベースに行われた。また2011年2月4日の第13回CGraSS公開レクチャー・シリーズでも「性と愛をめぐる不安と学び-大学生たちの今-」という題でご講演され、参加記が掲載されている。併せて参照されたい。

一橋大学社会学研究科博士課程 熊澤拓也

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第28回「日本占領と性 ―性暴力、売買春から親密な関係まで」(2014年11月21日)

第1レクチャー 「日本占領とジェンダー―米軍・売買春と日本女性たち」

講師:平井和子さん(一橋大学社会学研究科特任講師:近現代女性史・ジェンダー史)

第2レクチャー「パンパンとは誰なのか-キャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性」

講師:茶園敏美さん(京都大学学際融合研究推進センターアジア研究教育ユニット(KUASU)研究員:ジェンダー史・他者表象) 
司会:佐藤文香さん(一橋大学大学院社会学研究科・准教授)

参加記

11月21日に開催された第28回CGrass公開レクチャーのテーマは「日本占領と性、売買春から親密な関係まで」である。講師には、平井和子さんと茶園敏美さんをお迎えし、それぞれ『日本占領とジェンダーー米軍・売買春と日本女性たち』、『パンパンとは誰なのかーキャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性』というタイトルで講演が行われた。ほぼ同時期に、同様の対象について研究を行っているお二人は、異なる視点から占領期における性暴力・売買春・親密な関係性まで幅広い議論を展開した。

まず、平井和子さんの『日本占領とジェンダーー米軍・売買春と日本女性たち』では、①男性神話と慰安施設の設置、②米軍の性政策の変化、③御殿場の事例から見る「パンパン」たちと住民との共生関係、④女性たちの分断を超えた「出会い直し」という四つのテーマで講演がなされた。本論に入る前、平井さんは、橋下大阪市長が2013年5月に発言した軍基地売買春に関する男性神話ー軍人の性的コントロールのため必要・他の国もやっていた・住民を守る防波堤ーを取り上げ、敗戦を迎えた日本において存在した神話が現代にも綿々と引き継がれてしまっている現状を鋭く指摘した。

はじめに、占領軍「慰安施設」の開設についてである。1945年8月18日、内務省警保局長から特殊慰安施設を開設するように全国の知事や警察に無電秘密通牒が出された。この通牒には米軍から守るべきものとして、「日本人の保護」=良家の子女が、米軍に差し出すものとして、「芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯罪者」が設定されていた。さらに同日、GHQの到着に合わせて、「特殊慰安施設協会(RAA:Recreation and Amusement Association)」が設立された。8月28日のRAA「宣戦式」における声明文では「『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、民族の純潔を百年の彼方に護持培養する」と述べられた。米軍側もそれまでの売春禁圧方針を転換し、「禁欲」から「性病予防策」を採用することで、これら慰安施設の女性に対して健康証明書を発行し、「疑わしい」とおもわれる女性に対しては強制連行(「狩り込み」)と強制検査が行われた。慰安施設にかかわる当時の言説からは、設置した日本の男性側は「兵士には性的慰安が必要」「性の防波堤」「女性たちは自発的に応じてくれた」という男性神話を主張し、米軍側もそれに応じたことがわかる。そして、施設を「受容」した女性側では「こういう汚れた体で国の役に立つなら…」というように内面化された自己卑下とナショナリズムが利用されていた。敗戦国ー戦勝国の男性間での「良好な占領」体制づくりのために、元公娼や下層の女性の身体が取り引きされ利用されたのである。

次に米軍の性政策の変化について説明があった。初期にはMPと日本警察による「狩り込み」やコンタクト・トレーシングなど強制的な性病管理対策が徹底されたが、占領中期になると禁欲政策が展開された。しかし朝鮮戦争期になると、兵士が増加するのにあわせて基地周辺の売買春が激化した。

売買春をおこなう施設が基地周辺地域にできることで、もともと居住していた地域住民と、雇用された「パンパン」との間に複雑な関係性が生まれることとなった。御殿場の事例では、「パンパン」に英語を教える男性や、子ども(「混血児」)を育てる大家の女性、里親を支援する産婦人科医や助産師などの存在があり、「パンパン」との共生が築かれていた。しかしその一方で、関係町村の婦人会や小中学校、青年団などのような「パンパン」に依存しなくてもすむ階層もおり、「パンパン」との緊張関係が語られた。

このように人々の間に引かれた分断線を越えて、女性同士は「出会い直す」ことができるだろうか。日本キリスト教婦人矯風会や女性議員、地域婦人会などの女性団体は、占領軍に対する売買春を禁止する運動を展開したが、この売買春禁止運動において、兵士には性的慰安が必要という男性神話は女性たちにも共有され、兵士に「充て」られる売春女性への視点と軍事組織そのものの問題性を問う視点は欠落していた。

平井さんは最後に、近代家父長制によってジェンダー化された軍事主義のもと、「良家の子女」と「性の防波堤」に二分化された女性たちは、日米男性同盟の「策略」の下、連携する道を築くことができず、その分断線こそが、現在でもRAAの女性たちや狩り込みの被害者たちが軍隊による性暴力の被害者であることをカムアウトできない要因となっていると強調した。

次に『パンパンとは誰なのかーキャッチという占領期の性暴力とGIとの親密性』というテーマで講演された茶園さんは冒頭で、これまで「パンパン」と呼ばれた女性たちがGIに抱いた親密性を有するような気持ちやGIとの間の経験が個人的な問題として封印されることで、彼女たちへの性暴力(性病検診)という問題が看過され、一方的な他者表象が続いているという現在の問題点を指摘した。講演内容は①「パンパン」と呼ばれた女性たちとGIとの関係をコンタクトゾーンという視点で捉え、圧倒的な暴力にさらされながらも彼女たちがどのような交渉を行ったのかに着目する、②GHQ内部の性病対策をめぐる対立に注目し、関係各位の連帯性を分析するという二点に焦点化されて報告された。また各用語の説明として、「コンタクトゾーン」をMary Louise Prattの概念に沿って「植民地という空間において、支配/被支配という非対称的な関係が存在するなかで、異質な文化が互いに出会い、衝突し、格闘する場」、さらに報告においては「占領地日本を、あらゆるひとたちが相互交渉し(コンタクト)対処する場(ゾーン)」と設定すると述べた。この視点によって、異なった立場のおんなたちを支配する者/される者といった一義的な力関係を前提としてみるのではなく、さまざまな立場のおんなたちが互いに交渉し交流しているという豊かな関係性を見出せるのではないかと指摘した。「パンパン」と呼ばれた女性たちは「キャッチという性暴力を被ったおんな」であると同時に、「GIとの親密でかけがえのない時間をも経験していたかもしれない」アンビバレントな存在である。また「GI」も、米軍内部のヒエラルキーを考慮すると、支配者として単一にまとめることはできず、かれらも軍の組織においてはどちらかというと末端に位置する独身男性であった(田中雅一,2011,「コンタクト・ゾーンとしての占領期ニッポン ―『基地の女たち』をめぐって」田中雅一・船山徹編『コンタクト・ゾーンの人文学1』晃洋書房,p.204)。「 パンパン」とGIとの関係性は一枚岩的に捉えられるような単純なものではない。「パンパン」の他者表象についても、「パンパン」を性的にスティグマ化されたステレオタイプによって描く男性・女性知識人の言説が多かったものの、彼女たちとGIとの親密な関係性についてのべる言説も存在したという。

さらに、「パンパン」と呼ばれた人々にたいする認識の違いはGHQ内部にも存在していた。GHQにはSCAPとAFPACという二つの命令系統があり、それぞれに性病問題に対処するPHWとMSという組織があった。PHWでは兵力維持と占領地対策が、MSでは兵力維持と軍事技術がそれぞれの担当分野であった。MSは米兵を相手にするおんなたちを米兵に性病をまきちらす「犯罪者」とみなして警戒していたが、軍人と民間人で構成されていたPHWでは性病を伝染病ととらえているため彼女たちを患者とみなしていたため、双方の意見は対立し合っていた。おんなたちへの強制的な性病管理であるキャッチとコンタクト・トレーシングは結果的に内部の衝突によって収束に至るが、この要因として、占領地のおんなたちが兵士たちの信頼と協力を得ることに成功したためとも考えることができる。

このような性病管理の暴力にあいつつも、同時に米兵との親密性を築いてきた女性たちは、決して過去の問題なのではなく、現在にも引き継がれている。茶園は最後に、「パンパン」だったことを沈黙している状況こそ、暴力が目下継続中であることを示すものであると述べて講演を締めくくった。
 質疑応答の時間ではお二人に多くの質問が寄せられ、それぞれに丁寧なコメントをされ、現在にも社会に浸透する男性神話を徹底的に解体すること、「パンパン」と呼ばれた女性たちを一元的ではなく多様な視点から見つめることによって連帯の可能性を開いていくとこが重要であることが、再度強調された。

私自身も、祖母が米兵と関係を持つことで、私の母が産まれた。正式な婚姻届を提出していないため、「祖父」と呼ぶことができるかも分からない男性について、祖母はあまり話したがらない。このように私の祖母のような女性や、母のように米兵との間にうまれた人びとが自ら自身の言葉を語るためには、私を含め、この問題に関心を持つ人々一人一人がこの問題に向き合う姿勢を再度問い直すことが肝要である。連帯を紡ぎたすための問いかけである「語ることができるか?」という、かつてスピヴァクが発した疑問符は本講演のテーマにも通底しており、お二人の提示された論点はこの問題についてさらに考察を進めていくうえで重要な手がかりとなるだろう。

一橋大学社会学研究科博士課程 田口ローレンス吉孝

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第27回「戦時、日中映画のモダニズムとジェンダー」(2014年6月13日)

第1レクチャー 「モダン・ライフ映画が提起するもの-見えない中国・日本社会の二重構造」

講師:宜野座菜央見さん(明治大学・大阪芸術大学兼任講師:近代日本史)

第2レクチャー「越境する映画、引き裂かれた表象-戦時日中映画交渉に見るジェンダー」

講師:晏妮さん(本学社会学研究科客員教授:比較映画史、映像学) 
司会:坂元ひろ子さん(一橋大学大学院社会学研究科・特任教授)
ディスカッサント:島村輝さん(フェリス女学院大学文学部教授:日本近代文学)

参加記

第27回CGraSS公開レクチャーは、『戦時、日中映画モダニズムとジェンダー』と題し、宜野座菜央見氏、晏妮氏のお二方による報告と、島村輝氏によるコメントという形式で行われた。

まず、宜野座報告「モダン・ライフ映画が提起するもの」は、中国との戦争がなぜ長期化したのかを、対中国意識の変容という視角から探るという関心のもと、当時の大衆メディアのなかで最も大きな影響をもった映画における中国の不在と、モダン・ライフ映画の隆盛とを一対の現象としてとらえようとするものであった。日本ファシズムが台頭する「暗い谷間」の時代としてイメージされる1930年代は、他方では順調な経済のもとで大衆文化が花開き、満州事変後の「平和と繁栄」を謳歌した時期でもあった。報告では、1930年代をめぐるイメージの分裂を統合すべく、モダン・ライフ映画と戦争との親和性に着目する。すなわち、日本社会の現代性・先端性を描くモダン・ライフ映画は、脱政治化をもたらすとともに、不断に“いま”を更新し続けるという点において資本主義社会に親和的であることが指摘された。

“いま”=「モダン」を追いかける映画製作者は、日本社会の活力や産業化・近代化の進展、あるいはスポーツにおける日本人選手の活躍を描きだす一方で、後進性に結びつくものには無関心であった。「東洋一」の日本という自意識を形成する一助を担ったモダン・ライフ映画には、遅れた存在とみなされた中国への関心や共感が欠如しており、中国との接触が増えるはずの事変後のスクリーンから、中国が消えていくことになった。こうして、正当に振る舞う日本という自己肯定感と、日本に抵抗する遅れた中国という都合のよい“日華親善”の大衆意識が形成されていったという。

また、「映画観客の二重構造」とモダン文化の「でこぼこ」な拡大を示すものとして、大都映画が取り上げられた。土建業者「河合組」の設立者であり、丸山眞男が大正末期の民間右翼の一人としてその名を挙げる河合徳三郎によって設立された大都映画は、評論家や主要映画会社から蔑視されながらも、労働者層の根強い支持を獲得していた。大衆映画としての大都映画の強みは、女優のファッションや男性アクションスターに体現される「表層的な「モダン」」にあったが、他方で、看板女優の琴糸路が演じる劇中の女性は、主体性はあっても、状況に翻弄され、紋切型の悲運な運命に終始するものであったという。

さらに報告の後半では、女性中心のモダン・ライフ映画と男性主役の戦争映画の「協調効果」が指摘された。日中戦争前期にあたる1938-39年は、「統制半分」とも呼ばれ、娯楽や消費を含む日常生活が何とか継続していた。戦場と銃後をつなぐ戦争映画が製作されるものの、それらがスクリーンを占拠することはなく、『愛染かつら』の大ヒットに象徴されるように、モダン・ライフ映画のなかの「平和な日常」が継続していたのである。この銃後のモダン・ライフ映画と戦場を描く戦争映画との「協調関係」、およびそこでのジェンダー役割という主題は、時間の関係で充分に展開されなかったのが残念であった。

続く、晏報告「越境する映画、引き裂かれた表象」は、日本人でありながら戦時下に中国女性を演じ続けた李香蘭(山口淑子)を、ジェンダー的越境現象とみる問題提起ではじまった。満州、上海、華北、日本、台湾などアジアの広大なエリアを移動しながら、中国女性の記号としてのキャラクターを数多く産出した李香蘭は、戦時日本の文化政策によって製作された一つのテクストであり、支配者(男性)に征服された女性と、侵略者に抵抗する女性を演じ分けただけでなく、映画俳優というカテゴリーを越えて演劇や音楽の分野にも進出した。また、上海映画が生んだスターとの競争や、満映の新人女優を牽引する役割をも与えられた李香蘭は、「チャイナドレスの姑娘」という支配側が創り出したチャイナモダンの先端に位置しつつも、最終的には大東亜共栄圏の文化政策が必要とするヒロイン像への変身を要請された。

報告では、李香蘭から、日中両国の女優たちの表象と、彼女たちが出演した日中映画の交渉に関わるテクストへと視点を広げ、モダニズムとジェンダーポリティックスとの融合および拮抗関係、帝国主義とモダニズムとの共犯関係が検証された。言及された映画や女優は多岐にわたったが、中心的に分析されたものの一つが『木蘭従軍』(1939年)である。陳雲裳主演の『木蘭従軍』は、日本支配下におかれる被占領区(淪陥区)、国民党政府統治区(国統区)、日本国内とで、その受容のされ方が大きく異なっていた。上海ではメガヒットを記録し、隠喩的に抗日を呼びかける作品としてマスコミから絶賛されたのみならず、「借古諷今」(昔のことに託けて現在を諷刺する)の時代劇ブームを引き起こした。しかし、重慶で上映された際には、「太陽一出満天下」(太陽がひとたび出れば満遍なく照らす)という歌詞が太陽=日の丸と解釈され、観客らが激昂する騒動が起った。主演した女優の陳雲裳が、上海では抗日の英雄となり、重慶では悪魔と非難されたことから、称賛/非難のいずれの場合においても人々の視線は女優に向けられていたことが指摘された。

また、李香蘭の役割に関しては、1941年頃から母親またはそれに準じる役が多くなっていくものの、母親のイメージが終始投射されることはなかったという。「日中提携」や「共存共栄」、さらには「大東亜共栄圏」が唱えられながら、優生学的な大和血統論の言説が台頭するなかで中国女性を演じ続けた李香蘭には、子どもを産むという役割は与えられなかったのである。李香蘭は、戦時中の観客の植民地的、領土的、男性的な欲望を満たすために、現実と表象との間に位置する遊動的、曖昧な被写体であり、同時に、日中の非対称の交渉においては国家間の衝突と局部地域的な「提携」を具現した女優であった。帝国主義、植民地主義と共犯関係にあるモダニズムは、被占領側にとっても、ソフトな語り口や身振りで協力を回避するための有効な手段となったが、いずれの場合も、女性の身体のみが恰好の対象として突出することになったという。

両報告の後、プロレタリア文学を中心とした日本近代文学を専攻する島村輝氏によるコメントがなされた。宜野座報告に対しては、「15年戦争」という括りのなかにも、小林多喜二の拷問死に象徴されるような何かを決定的に踏み越える一つの転換点として1933年があるが、他方では好景気や文芸復興があり、そうした複雑な様相をみていくことの重要性に気付かされたと述べたうえで、戦争が映画に入り込んでいないと本当にいえるのかという問題提起がなされた。晏報告については、李香蘭が出演した『支那の夜』が、1944年までに三度にわたって中国を慰問した渡辺はま子による歌謡「支那の夜」(1938年)が元となっていることに触れ、戦地慰問における女性の影響や役割の問題が提起された。さらに両報告に対して、東京の女性/上海の女性というモダンガール表象の継続性を指摘し、15年戦争の時期を一括りにできないとはいえ、モダンガールの描かれ方の背後にあるものは何か、映画以外の他のメディアとの関連ではどのように位置づけられるのか、という問題提起があった。

この映画と他メディアとの関係性という問題は、フロアからの質問でも取り上げられ、ポスト事変後のスクリーンにおける中国の不在に対し、文学や美術の分野では中国への関心が高いことから、こうしたメディア間のずれがなぜ生じたのか、受容層の問題などを総合的にみたときにどのように考えられるのかという意見が出された。また、中国表象に対する検閲の問題や、各地のモダン・ライフ映画の相互関係などが議論された。 戦時の日中映画におけるモダニズムとジェンダーの表象を鮮やかに分析された両氏の報告を通じて、テクスト分析のみでは見えてこない、大衆映画を検討することではじめて明らかとなる歴史の断面があること、また対外意識を検討する際、欠くことのできない分析対象の一つとして大衆映画があることに、改めて気づかされた。公開レクチャーの冒頭で司会の坂元ひろ子氏が述べられたように、決して良好とはいえない昨今の日中関係を思うとき、戦時日中映画にみられる自他表象やジェンダー役割を検討する作業は、現在の日本社会における対中国意識や中国をめぐる表象の問題を考えるうえでも重要な意味をもつ。本レクチャーは、そうした意味においても意義深い試みとなったのではないだろうか。

一橋大学社会学研究科特任講師 小野百合子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第26回 (2014年2月27日)

第1レクチャー <家族と企業社会>をジェンダーでつなぐ

講師:木本喜美子(一橋大学大学院社会学研究科・教授)
司会:佐藤文香さん(一橋大学大学院社会学研究科・准教授)

第2レクチャー 中国近現代思想文化史研究とジェンダー

講師:坂元ひろ子(一橋大学大学院社会学研究科・教授)
司会:貴堂嘉之さん(一橋大学大学院社会学研究科・教授)

参加記

 第26回CGraSS 公開レクチャー・シリーズでは本校社会学研究科の木本喜美子先生と坂元ひろ子先生をお迎えし、特別企画として2013年度をもってご退官されるお二方にこれまでの研究や教育における活動やこれからの研究内容などについてご講演いただいた。

まず第1レクチャーでは木本先生に「<家族と企業社会>をジェンダーでつなぐ」というタイトルで、先生が家族と労働の社会学を専門とするに至った経緯や研究の3つのステージについてお話をいただいた。木本先生の経歴を簡単に紹介すると、広島大学総合科学部助手、立命館大学産業社会学部助教授を経て、1990年から一橋大学に着任された。以来、20年以上社会学部、社会学研究科において社会調査、教育などに尽力してこられた。ご専門は家族と労働の社会学だが、これは労働と生活の統一的把握や労働者状態論への問題関心や労働と家庭をつなぐ研究分野に対する課題が出発点にあったそうだ。そして、家族内部だけではなく家族と外部社会のダイナミックな関係性や両者の相互浸透過程を捉えることや労働と生活のリアリティを追究することを課題として研究を進めてこられた。その第1ステージにあるのが家族賃金を媒介として家族と企業社会との関連構造を把握する実証研究である。この研究成果は1995年に刊行された『家族・ジェンダー・企業社会――ジェンダー・アプローチの模索──』(ミネルヴァ書房)にまとめられ、これは翌1996年に社会政策学会奨励賞を受賞された。第2ステージでは労働組織におけるジェンダー関係に関する調査研究をおこない、流通小売業におけるケーススタディをもとに特に女性労働をめぐる職場内の労働関係を実証的に研究しそこにおけるジェンダー規範の構築を明らかにしてこられた。この成果は2003年に『女性労働とマネジメント』(勁草書房)として刊行され、これは“gender and Japanese management”という洋書としても翻訳されている。そして、現在は第3ステージにあり、<家族と女性労働>の史的再構成として歴史的に家族と女性労働をどのようにつなげていくのかという課題に取り組んでおられる。本講演ではこの3つのステージのなかでも第1ステージにおける<家族と企業社会>という着想をどのように得ていったのかということを中心にお話しされた。

先生はまず1980年代の自動車産業(トヨティズム)が国際的に着目されるなかで、トヨタの現場労働者、つまり「豊かな労働者」とされる一方でその引き換えに単調・高密度・不規則・長時間労働の担い手である労働者と家族生活との関係性をどう捉えるかという課題のもとに調査研究を進めてこられた。この時、家族と労働のリアリティを探索すると同時にフェミニズムの文献を講読することによってこの課題にアプローチし、家族と社会を結ぶために理論的、方法論的としてマルクス主義フェミニズムに着目された。当時1980年代の家族をめぐる議論として布施晶子氏の「家族擁護論」(「『兼業主婦』主流の時代」、『講座/現代・女の一生 第四巻 夫婦・家族』、岩波書店、1985年)の立場と水田珠枝氏の「家族解体論」(「家族の過去・現在・未来」、『講座/現代・女の一生 第四巻 夫婦・家族』、岩波書店、1985年)の立場があったが、この二つの議論が対象とする家族とは近代家族論を前提にしていた。近代家族論とは、近代家族、つまり近代に出現した家族で主婦を抱え子供中心主義が重要な課題になっている家族が歴史的な制約性を持っているという議論を指す。これは落合恵美子氏が「<近代家族>の誕生と終焉―歴史社会学の眼」(『現代思想』第13巻6号、1985年、青土社)でいち早く提起し、家族社会学が近代家族を家族の本質として概念化していると指摘したことでも家族社会学に内蔵されているパラダイムの限界を打ち破る視点を提示したと言える。木本先生はこれを評価しつつ、しかしながら、階級差の問題、つまりミドルクラスの家族像を労働者家族がどのように受容したのか、階級・階層を越えて近代家族がどのように波及したのか、このメカニズムが明らかにされていなかったと指摘された。そして、階級とジェンダーを架橋するものとして「家族賃金」という観念に注目するに至ったという。次に、この点について「家族賃金」をめぐるイギリスでの研究を紹介された。

Barrett,M.&Mclntosh,M.(Barrett,M. &Mclntosh,M.,1980, Women’s Oppression Today, Problems in Marxist Feminist Analysis. Verso.)によれば、19世紀のイギリスの工場によって労働時間が短縮され、女性が「保護」という名のもとに稼得現場から排除されたが、このことによって「家族賃金」観念が構築された。これは女性を低賃金職種に周縁化し、他方では労働者階級のなかに専業主婦願望を出現させた。しかし、専業主婦は一時的な不安定なものに過ぎず、結果、「家族賃金」は女性労働に決定的な制約をもたらすことになった。「家族賃金」は主にミドルクラスや労働組合の男性によって推進されたが、「家族賃金」成立の余地は特に労働者階級にとってはきわめて狭く不安定であるとBarrettらは強調した。これを引き継ぐ形でHartmann(Hartmann. H., & Markusen,A.,1980,Contemporary Marxist theory and the practice: A feminist critique, The Review of Radical Political Economics, summer.)とHumphries(Humphries,J.,1981,Protective legislation, the capitalist state and the working class men: The case of the 1842 mines regulation act, Feminist Review,No.7.)によって「家父長制第一主義」対「階級第一主義」とされる論争が起こった。Hartmannは「家族賃金」の導入は組織された男性労働者が決定的な役割を果たしたと強調し、女性労働者との競合を嫌うことから女性を労働市場から排除し主婦にすることで家庭内の男性の権威と特権を確立することが可能になった、つまり家父長制との動機が随伴したと述べる。これに対して、Humphriesは炭鉱労働者に関する歴史的事例を挙げ、まず炭鉱において性と年齢に応じた職務分離がされていたため男女の競合はあり得なかったと指摘し、また家族労働団を組んで働く習慣があったため「家族賃金」は成立していなかったと述べる。そして、家族労働団にとって収入を最大化する方法は娘と妻を就労させることであるにも関わらず、それを犠牲にしてまで女性の地下労働を禁止しようとしたのには次のことがあると問題提起として挙げている。一つは、労働の特殊性である。肉体的に過酷な労働から家事に専念してほしい、したいという願望が男女ともにあったのではないかということ。もう一つは、家事に専念する主婦を擁する家族モデルがすでに存在し、そのミドルクラスの家族像を労働者階級は知っていて自分たちもそれに近づきたいと考え、そして、同時に誰からも指図されない個人生活を実現したいと男女ともに願ったのではないかということ。Humphriesは労働者階級も個人生活を願望すると同時にそのことが結果として性役割分業を自ら家庭のなかに導き入れることになったという歴史の複雑な側面を提示してみせた。木本先生はこのHumphriesの解釈の仕方に共感し、これはミリアム・グラックスマン(M.グラックスマン著、監訳木本喜美子、『「労働」の社会分析―時間・空間・ジェンダー』、法政大学出版局、2014年)の方法としての「二者択一(either-or)」ではなく「両方とも(both-and)」という解釈に通ずるものだと述べた。これらの研究の後、Lewis(Lewis,J.(ed.),1986,Labour and Love: Women’s Experience of Home and Family 1970-1918,Basil Blackwall.)はブルジョア家族モデルの推奨過程として福祉国家の存在を捉え福祉国家のなかに「家族賃金」を埋め込んだ家族像が制度として形成されること、また「家族賃金」が国家レベルで再生産されていくことを指摘した。Seccombe(Seccombe,W.,1986, Patriarchy stabilized:The construction of the male breadwinner wage norm in nineteeth-century Britain, Social History , Vol.12,No.1.)は「家族賃金」は第一次世界大戦までにすべての発達した資本主義国において、労働者階級の理想として信じられるようになったと述べている。ただし、木本先生は日本に関してはもう少し遅い時期と捉えている。そして、最後に日本における「家族賃金」観念の展開について述べた。

木本先生は日本での「家族賃金」は福祉国家の成立過程ではなく雇用慣行(終身雇用、年功賃金、企業内組合)との関係で考察し、これを「家族賃金」の具現化と捉え生活給賃金に着目する。生活給賃金とはライフサイクルの展開にそくして右肩上がりの年功型賃金を指す。この原型は電器産業の労働組合が提起した賃金体系「電産型賃金」(1946年)で、これは戦後ほかの産業にも波及していった。「電産型賃金」は生活保障給(労働者の年齢と家族の人数から算定)、能力給、勤続給の三要素からなり、うち生活保障給が80%を占めた。企業福祉は「生活補助的機能」(戦後まもない時期の社宅や医療などの提供)から「労働者の中産階級化をはかる財産形成策」(1960年代以降の持家制度、持株制度の導入)へと展開する。また、日本型福祉国家体制は企業福祉と公共事業や補助金・各種保護政策をあてにしていたと言える。1970年代初頭以降には大企業は厳しい経済状況のなかで現有社員を解雇しないことが会社への忠誠心を高めていく根拠となり企業社会化が進展していった。したがって、木本先生は日本こそ「家族賃金」が賃金体系としても物質的基盤をともなって強固に定着したと考える。そして、男性はこのもとで「会社人間」へと傾斜し、他方で女性は専業主婦かパート主婦のパターンに収斂していく流れが形成されていったと指摘された。また、ここで重要なのは第二波フェミニズム運動と同時代に企業社会化の進展や「家族賃金」観念の受容、それを基盤とする豊かな生活の推進が行われていたということをきちんとおさえておくことと、1980年代の国家レベルの主婦優遇政策が今なお根強く存在することを念頭におくことであると強調された。

現在の問題としては、年功システムは依然としてありつつも、一方では非正規雇用が拡大し晩婚化・未婚化が進んでいることを挙げ、この背景のもとで日本型の「家族賃金」観念を共有する基盤を変えうる層が形成されつつあることを指摘された。そして、近代家族の縛りから自由な家族像や生活共同体の兆しをどこに見出せるのか、また親密性を担うユニットの問題と、社会的連帯関係によるケアの組織化をどのように考えていくのかという問題が重要になってくると強調された。

最後に、現在、第3ステージとして1960年代の<家族と女性労働>について歴史的に再構成することに取り組んでおり、具体的には結婚後も継続就業してきた織物女工のライフ・ヒストリー調査を実施していることについてお話いただいた。この調査では「良き妻良き母」という「主婦化」規範が社会階層差や地域差を越えてどのように展開したのか、また彼女たちが日々の労働・生活にどのように立ち向かい、この「主婦化」規範をどのように読みかえ自らを価値づけたのか、あるいはこれに反発・抵抗したのかを描き出そうとされている。今後はこれをまとめる段階に入り、「日暮れてなお道遠し」などとおっしゃりながら講演を締めくくられた。しかし、講演後の先生と学生との会話からは「先生、まだ全然日は暮れていない。お昼くらいではないか」といった声が聞こえ、私も全く同様に感じた。先生の今後のますますのご活躍に期待すると同時に、先生が最後に家族の現在について提示された問題について私自身、どのように取り組むことができるか真摯に受け止め向き合っていきたいと考えた。つまり、結婚・出産・育児・介護などを経験したりしないなかで、日本型の「家族賃金」観念や「主婦化」規範、近代家族像に対する変革を担うアクターとしてどのような実践があるのか、この問題には研究に携わる者としてだけでなく身近な問題として関わっていきたい。

第2レクチャーでは坂元ひろ子先生に「中国近現代思想文化史研究とジェンダー」というタイトルでご講演いただいた。坂元先生の経歴を簡単に紹介すると、山口大学教養部哲学分野、ハーバード大学フェアバンクセンター、東京都立大学人文学部中国文学科を経て、1998年から一橋大学に着任された。ご専門は清末・民国期における思想文化史でこれまで多くの成果をご著書にまとめられ、単著では『連鎖する中国近代の“知”』(2009年、研文出版)、『中国民族主義の神話―人種・身体・ジェンダー』(2004年、岩波書店)、共著では『モダンガールと植民地的近代』(2010年、岩波書店)など多数で、編者としてのご著書は40冊以上にもなる。

まず始めに先生がどのような経緯で今日のご専門にたどり着いたのか、それと密接に関わる当時の時代背景についてお話いただいた。1960年代末から1970年代初めには水俣病などの公害病の問題や冷戦構造下で拡大する核兵器の問題、原発への反対運動、ベトナム反戦運動や学生運動があり、中国では文化大革命が起こっていた。当時、大学生だった先生ご自身の周囲でも70年安保反対運動や三里塚空港建設反対闘争、出入国管理法制定阻止運動、狭山差別裁判糾弾闘争、沖縄返還協定をめぐる闘争などが盛んだった。なかでも日本のアジアにおける植民主義の問題と深く関わる入管闘争と被差別部落解放運動である狭山差別裁判闘争に影響を受けたそうだ。後者については先生のご出身が大阪であることから小学・中学・高校時代に経験した在日の同級生たちとの交友関係や近辺の被差別部落の人たちとの関わりが潜在的な問題としてあったと述べられた。これらの問題意識から中国語と朝鮮語を選択するに至り、また中国語を選択したことで今日の専門へと導かれた西順蔵先生(宋学、後に日本での中国近現代思想研究の道を切り開く)およびそのご著書との出会いがあったそうだ。

次に中国史、中国思想の分野での女性の先輩学者である小野和子さんについてのお話をされた。小野さんは1978年に『中国女性史―太平天国から現代まで』(平凡社選書)という先駆的なご著書を発表され、1991年には当時最初の女性教授として京都大学に着任された。小野さんは京大女性教員懇話会の代表を務め、1993年の日本の大学における初めてのセクハラ事件とされる矢野事件でもご活躍され、ご著書に『京大・矢野事件―キャンパス・セクハラ裁判の問うたもの』(1998年、インパクト出版会)がある。この裁判以降、全国の大学でのセクハラ対策の流れが出てくるようになった。

また、専門領域にジェンダー視覚を組み込んでいくことはとても難しい問題だったことについてお話された。大学院では清末の譚嗣同や章炳麟など社会変革を考えた人物の思想をめぐって、気による天地万物一体論形式の世界観をもつ儒教にエーテル理論や仏教の唯識論を組み入れていく様相、また儒教を初期グローバル化の思想や個と共同性、精神と肉体、男女の関係性の再定立という意味での近代思想に組み替えていく様相、そのプロセスにおいて西欧や日本の思想との連鎖の様相を捉えることがテーマだった。その過程で問題視したのは文化差別を本質としていた華夷意識が人種論的社会進化論とともに受容されていくことについてだった。この点に対して中国思想の分野では抵抗ナショナリズムを重視する研究では軽視され、西洋的近代化論の側からは高く評価されるといった二極化した傾向があった。先生はこのこと自体に問題があると考えるようになり、ポスト構造主義理論やポストコロニアル理論から示唆を得たという。歴史学自体のジェンダー化を指摘したジョーン・スコットの考えやバトラーなどにも触発され大きな刺激を受けられた。そして、システムなどへの洞察を深めるために必要な階級や民族、地域といった多くの軸の一つとしてジェンダーを捉えるようになった。それによって文字から遠ざけられていた女性の声を直接取り上げるのが難しいなかで中国思想史分野において「女性思想史」という問題の立て方ができるのか否かという悩みからも解放されたそうだ。

1990年代頃からは中国の学者、例えば李小江、孟悦、戴錦華、チョウ・レイなどによって中国学におけるジェンダー視覚の導入に成果が見られるようになった。一方、日本では坂元先生が中心となり1997年に中国社会文化学会の年次大会シンポジウムの共通テーマに「中国社会・文化とジェンダー」を挙げたが、ジェンダーは時期尚早ではという意見もあったそうだ。2013年にも同学会大会で「中国のジェンダー構造の歴史的変容」というテーマで開催したが、男性性やセクシュアリティなどに関する報告もあり広がりのある研究成果を示すことができた。今後もこのようにジェンダーをテーマとした内容を続けていくべきだと強調された。

最後に、先生のご著書である『中国民族主義の神話―人種・身体・ジェンダー』とそれに関わるものとしてドロシー・コーの論文「明末清初における纏足と文明化過程」(ドロシー・コー、「明末清初における纏足と文明化過程」、アジア女性史国際シンポジウム実行委員会編、『アジア女性史―比較史の試み』、明石書店、1997年)の内容について説明され、纏足とナショナリズムの問題や明末清初から清末、民国期にかけての纏足観の変容などについて話された。続いて、纏足の女性や中国女性が視覚的なメディアおいてどのように表象されたかについて近年の研究内容とともに論じられた。纏足の女性は画報というグラビア・メディアで表象され、女性は結婚制度とともに進化を展望する主体として託され、辛亥革命期には女性は男性に同一化し兵士にすらなった。また主に描かれたのはファッションリーダーとされる妓女だが、彼女たちは新聞などを読み知的進化を遂げた。女工や女子学生も描かれ始め、女工については主体的に集団行動をとる女性として現れる。この女工の存在が二つの大戦期でのモダンガールの登場の展望となっていたと言える。男性によるモダンガールは裸体で描かれ揶揄の対象とされたが、そのなかで女性漫画家である梁白波はそれに抵抗するモダンガールを作り出した。また、上述したモダンガールを描く男性漫画家グループは「救亡漫画」や「抗戦漫画」のなかで全く違う画風で日本兵に凌辱された自国の女性を描いた。つまり、日本の悪を糾弾するために自国の女性が凌辱された場面を強調したのだ。このことは慰安婦にされた女性がその後自分が悪いかのように思ってしまうことと通じる問題があるのではないかと先生は指摘された。今後は1950年代の建国期に同じ漫画家たちがどのような漫画を描いているのかを連続的に見ていき、そうすることでジェンダーが思想文化史にとって重要な視点になりうることを示しうると述べられた。

以上、木本先生、坂元先生による講演からはそれぞれのライフ・ヒストリーを垣間見ることができ非常に刺激的だった。自らの専門にジェンダー視覚を取り入れ先駆的な研究を成し得るには、その背景に多くの闘いあるいは「事件」を乗り越えてこられたのだと知り、改めて今日私たちの目の前にある道に深く感謝した。特に、このお二方はジェンダー社会科学研究センターの代表を務められ、一橋大学の全学的なジェンダー教育プログラムがより豊かなものになるよう尽力してこられた。私は修士課程から本学に進学したが、ジェンダーに関連する科目の豊富さに興奮し、また同じ関心を持つ仲間と議論を重ねられる喜びを日々感じてきた。先生方の懸命な奮闘によって築き上げられたこの素晴らしい環境に重ねて感謝するとともに、ここで学び得てきたものを今度は私たちが自分の置かれている場所において還元していきたいと強く感じた。

一橋大学言語社会研究科博士後期課程(現在は博士研究員) 上村陽子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第25回 (2014年1月20日)

<サバルタン女性>はいかにして公共圏の担い手になりうるか?―在日朝鮮人女性による夜間中学独立運動から―

講師:徐阿貴さん(お茶の水女子大学ジェンダー研究センター研究協力員)
司会:伊藤るりさん(一橋大学大学院社会学研究科・教授)

参加記

 CGraSS公開レクチャーシリーズ第25回(2014年1月20日)は、お茶の水女子大学ジェンダー研究センター研究協力員の徐阿貴さんをお迎えして、「<サバルタン女性>はいかにして公共圏の担い手になりうるか?――在日朝鮮人女性による夜間中学独立運動から――」と題したご報告をいただいた。

本レクチャーでは、2012年に出版され、山川菊栄賞、ことばとジェンダー賞特別賞を受賞した『在日朝鮮人女性による「下位の対抗的な公共圏」の形成』(御茶の水書房)の内容の一部をもとにしたものである。この書籍は徐さんの学位論文の一部をまとめたもので、帯には「命がけや」「ここは、うちらの学校(ウリハッキョ)」という、レクチャーの表題にある夜間中学独立運動のフィールド調査で得られた在日朝鮮人女性の言葉が載せられている。

冒頭では、徐さんがこのような研究に取り組むに至った経緯について語られた。それは、ご自身の出自に深く起因していた。日本で生まれ育ち教育を受けながら、日本国籍ではなく韓国籍をもつ在日朝鮮人三世である徐さんは、自身が育った家族のなかで、一世である祖母らとの使用言語の違いに気をとめた。少しの日本語しか使えない祖母らと、日本語しか話せない徐さんの間には、徐さんが成長し、年齢を重ねるにつれて少しずつ溝ができていった。このような経験をもとに取り組まれた夜間中学独立運動についての研究には、在日朝鮮人女性の言語/日本語/識字の獲得をめぐる深い考察が展開されていた。

夜間中学独立運動とは、1990年代に東大阪市立長栄中学校および太平寺中学校の夜間学級をめぐって展開された夜間中学開設を求める運動である。当時の長栄夜間中学では、在日朝鮮人一世女性をマジョリティとする生徒数が昼間の全日制学級のものを大きく上回ったため、近隣の太平寺中学校に分教室を設置することになった。しかし、狭い教室、暗い運動場、越境通学の禁止など、教育環境が大きく悪化したため生徒らの不満は続出した。結果として、分教室を独立したひとつの夜間中学にし、教育環境を改善することを訴えた運動が始まった。この背景には、地域に根強くある在日朝鮮人への民族差別が存在しており、生徒らである在日朝鮮人女性らはそこに敏感に反応したといえる。その差別のあらわれとして、第1に、夜間中学の生徒らは2校目の夜間中学の設置を市教育委員会に要望しており、それが長年対応されていなかったにもかかわらず、新聞報道をきっかけとする全日制学級の視点に立った要請には早急に対処されたこと、第2に、分教室の環境があまりにも学習に適さず、生徒が日本人である場合に市教育委員会が同じような対応をするとは到底考えられないことが挙げられた。

徐さんの夜間中学独立運動にかんする資料収集、フィールドワーク、生徒当事者であった在日朝鮮人女性へのライフストーリーの収集およびインタビューによって明らかになったのは、この運動を通して、在日朝鮮人女性のサバルタン(下位の対抗的な)公共圏が形成されたことである。具体的には、(1)在日朝鮮人女性という独立し可視化された運動主体が獲得されたこと、(2)運動によって学校の外部と関わる活動拠点が展開されたこと、(3)かのじょらが長年奪われてきた文字(とりわけ日本語の識字)がコミュニケーション手段として主体性の獲得に大きく貢献したことなどが挙げられる。

まず、(1)では、これまでの在日朝鮮人による解放を求める運動では女性の姿が見えにくいものとなっていたことについて述べられた。これまでの民族運動では、在日朝鮮人女性らは民族運動で重要な役割を果たしていたにもかかわらず、それはあくまで男性が主体である運動を支える形であったことが指摘され、このことから、徐さんは在日朝鮮人女性らを「みずからの声を持つことができず、自身を代表できない存在」である「サバルタン女性」と位置づけた。その一方で、夜間中学の設置をめぐる運動では、在日朝鮮人女性らは自分たちの学ぶ権利を自分たちの手で主張していった。夜間中学での学習によって日本語の識字を獲得し、また、生徒会をもとにした集合体の形成によって、自身の体験を自身の言葉で公共の関心事として訴え、可視化してゆくことが可能になった。

(2)については、自主教育機関である「うりそだん」、デイサービス「さらんばん」の設立について言及された。いずれも2001年の独立校化の後に設立されたもので、年齢、世代、背景がさまざまな地域の在日朝鮮人女性が活動する拠点として、現在はNPO法人となっている。「うりそだん」は、高齢ゆえにゆっくりと時間をかけて勉強したい在日朝鮮人女性の学習の場となり、さらんばんは世代をこえた在日朝鮮人女性の交流の場となっていった。これらの設立により、学校のなかだけでなく地域社会での活動が可能となり、他の関西や韓国にある運動団体との連携も展開した。このような機関に集うことは、在日朝鮮人女性が地域社会に対して自らが在日朝鮮人であることをほとんどはじめて言明するに等しく、夜間中学での教師らによるかのじょらの民族名の尊重などとあいまって、在日朝鮮人女性としてのアイデンティティ形成に寄与した。

(3)については、在日朝鮮人女性らが日本語の識字を獲得することで主流社会に対して、そしてお互いのなかで発話することのできる主体になっていくことが明らかにされた。これについては、質疑応答のなかで、「なぜ母語である韓国語の識字ではなく、日本語の識字であることに解放の意味があるのか」という質問があった。徐さんはこれに対して、まず、日本社会での生活言語としての日本語の読み書きができないことにより在日朝鮮人女性らは自尊心を傷つけられてきたが、それが学習によって回復可能となったことを指摘した。そして、在日朝鮮人向けのハングルを学ぶためのテキストは本国の家父長制的なナショナリズムに影響されがちで、朝鮮語の文字を獲得できても民族集団の主流である在日朝鮮人男性の言説にからめとられ、「母」や「妻」規範によらない在日朝鮮人「女性」としての主体性が獲得しにくいことを挙げた。他方で、このことは夜間中学における日本語学習のテキストのイデオロギー性を、運動を通じ形成された女性主体との関係において検討する必要性をも浮かび上がらせている。

民族運動が活発な集団の在日朝鮮人でありながら、その夫、息子など家族内の男性にあくまでも付随した存在として運動にかかわっていた女性たちが、自分の手で自分のために夜間中学独立運動を展開していく姿は、民族差別やジェンダー差別といった一方向からのアプローチだけではとらえることができない問題を提起していた。また、このことは在日朝鮮人女性だけでなく、民族運動を大きく展開するに至っていない在日外国人、そして在日外国人女性全般にも共通する含意のある問題といえるだろう。筆者自身は、ニューカマー生徒が大多数である東京都の夜間中学にて調査を行ってきた。夜間中学の存在を知り、通学を継続し、日本語とその識字を獲得していくことのできる在日外国人らは多いとはいえない(この点については、徐さんも著作のなかで、夜間中学生の在日朝鮮人女性らが、この世代の中では「エリート」のような存在と指摘している)。徐さんの行ったような、夜間中学に通うことができた存在とその周辺の人びとへの深い聞き取りを布石にし、今後、声なきまま日本で暮らしている在日外国人にも光をあてていくことがよりいっそう望まれるだろう。本レクチャーは、多角的に物事をとらえていくこと、複雑にからまった網の目を丁寧にときほぐし、見えなくなっていた事象を可視化していくことの重要性をあらためて考えさせるものであった。

一橋大学大学院社会学研究科修士課程 金海翔

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第24回 (2013年12月9日)

フェミニスト魂を捨てずに、研究者としてのキャリアを追求できるか?―Can One Make an Academic Career and Keep One's Feminist Soul?―

講師:シンシア・エンローさん Prof. Cynthia Enloe(クラーク大学)
司会:佐藤文香さん(一橋大学大学院社会学研究科・准教授)

参加記

 第24回CGraSS公開レクチャー・シリーズでは、長年フェミニスト国際政治学者として第一線を走り続けるシンシア・エンロー先生が、フェミニストとしてアカデミズムを生き抜いていく方法について約三時間にもわたって講演してくださった。1989年に出版されたBananas, Beaches and Bases: Making Feminist Sense of International Politicsから最新刊のSeriously!: Crashes and Crises As If Women Matteredに至るまで、「個人的なことは政治的なことであり、国際的なこと」というフェミニストの議論を柔軟に受け入れてこなかった男性中心主義的な国際政治学の領域において、エンロー先生は世界各国の事例をもとに、人種・民族・階級・ナショナルアイデンティティが絡み合いながら、軍事目的のために女性らしさ/男性らしさが形成され、利用されてきたことを考察してきた。

壇上に立つと、まずエンロー先生はフェミニストの魂をアカデミズムで維持してゆくためには、教える、ということが重要だと説明した。共存させるのが困難な「フェミニスト」「アカデミア」「キャリア」「ソウル」という四つの要素を同時に持つことにより、フェミニストの学者としてなんとか生きていくことができる。それらの共存を維持する方法が教えることである。本講演では、エンロー先生の母親ハリエットとエンロー先生自身の経験から、フェミニストとして生きるなかで教えることの重要性が述べられた。

まずエンロー先生はハリエットの個人史を語り、歴史的文脈に位置づけながら彼女の人生が社会的に規定されたものだったと説明した上で、ハリエットにとって教えることが生きてゆくための方策だったと解説した。ハリエットは1907年生まれで、幼少期をカリフォルニアで過ごした。カリフォルニアは、白人、ネイテイブ・アメリカン、ラティーノ、アジア系アメリカ人、黒人などの多人種多民族によって構成される社会だったが、所属する人種や階級グループごとにジェンダー規範が異なっていた。ハリエットの所属する白人アッパーミドルクラスの文化では、女性の高等教育も賃労働も一般的に認められていなかった。しかしハリエットの母親が早くに亡くなったために、父親がボストンから教育係として呼んだ女性から、彼女は進歩的な考えを身につけ、ミルズ・カレッジへ進学した。制度としての大学は、社会を変化させる原動力を持つ一方で、現状を維持する力も併せ持っている。その上女子大学であるミルズ・カレッジは、男性しか進学できない他の大学と相互補完関係を形成しながら、ジェンダーイデオロギーを維持させていた。そのため、ミルズ・カレッジで推奨されていた女性の賃労働は女性的な仕事に限定され、卒業後ハリエットは幼児教育の教師になった。妻となった女性は家庭にいるべきとする中産階級のジェンダー規範に背かないよう、数年働いた後、結婚を機に彼女はその仕事を辞めた。しかし何らかの形で教育に携わりたいと考えたハリエットは、女性の社会的活動が認められていた教会で、無給のボランティアの教師として働き続けた。このように大きな歴史的文脈からハリエットの人生を辿ることによって、エンロー先生は「個人的なことは政治的なこと」というフェミニズムの考えを実践しながら、女性の自由が完全に保証されていない社会において、教えることがハリエットにとっていかに重要だったのか示した。

さらにエンロー先生は、自身の経験からフェミニスト研究者にとっての、教えるということの意義を指摘した。エンロー先生は、こうしたハリエットの生き方に対し疑問を持つことなく成長した。しかしエンロー先生は女性の賃労働を要求する1970年代から始まった第二波フェミニズム運動に参加し、さらに大学教授としてのキャリアを積み、今に至る。エンロー先生自身は大学に籍を置き、教えることをその生活の核としてきた。大学でキャリアを積むということは、そこでの昇進の機会が与えられるということであり、そのためには専門家としての知識や技能だけでなく、昇進するための戦術が必要になる。しかしそれらを追求すると、従来フェミニストが批判してきたエリート主義に陥り大学組織内のヒエラルキーに組み込まれる危険性が増す。そうした相反する場で、エンロー先生は教えることを中心に据えることによりフェミニストとして、そして研究者としてのバランスを維持してきた。教えることは、知識を一方的に学生に伝授することではない、むしろ学生とともに学んでゆく過程である。それによって研究者は謙虚な学習者としてあり続けられるし、さらに相互作用的な人間関係を築くことができる。こうしてエンロー先生は、教えることによって「フェミニスト」「アカデミア」「キャリア」「ソウル」を共存させてきたのだ。

約一時間半の講演を終え質疑応答に入ると、講演内容に即してアカデミズムにおけるフェミニズムあるいはフェミニストのポジションについての議論が交わされた。最初に、指導教員がフェミニスト的な関心に基づく研究を、「アカデミックではない」「瑣末なことだ」「実証できない」と批判し、そうした問題を捨象しようとするとき、どうすればいいのかという質問が出された。エンロー先生は米韓関係において韓国の売春婦が果たした役割を考察したキャスリン・ムーンが著書Sex among Alliesを執筆中に、彼女の指導教員がその研究を否定したこと、そしてその後に彼女が史料を元に「実証」してみせたことを例にあげた。この実例に基づき、エンロー先生は緻密な検証に基づく女らしさ・男らしさの分析を通し、ジェンダー的視点が政治学をより豊かなものにすること、そして政治学者が自然だと考えている事例にこそ権力関係が埋め込まれているのだということを、研究を通じて示す重要性を説明した。同時に学内で同じ知的関心を持つ人々とネットワークを作り、個人ではなく集団で意思を表明することも大切だと、エンロー先生は指摘した。学科内でグループを作り、自分のキャリアを追求するだけでなく学科の文化を変え、さらに学科に限定されない学際的な研究センターを設置し、様々な考えを交換してゆくべきだと提案した。次に出た質問は、フェミニストが蓄積した研究業績を、本来意図した形とは違う方法で現実社会の政治目的に利用されることに、いかに抵抗したらいいのか、というものである。その具体例として、第二次世界大戦時のフランスで地元の女性が米兵に性的サービスを提供したことを考察したメアリー・ロバーツの研究(Mary Louise Roberts, What Soldiers Do: Sex and the American GI in World War II France)を参照しながら、現大阪市長の橋下徹がアメリカも女性を性的に搾取したのだから、日本の慰安婦制度だけが批判されるのはおかしいと主張したことが挙げられた。この問題に対し、エンロー先生は各国の戦時政策の比較研究は重要だが、それは政策の酷さを格付けするようなものではあってはならない。それよりも各国固有の戦争責任を提示することの重要性を指摘した。最後にジェンダー研究をしていない研究者と議論するとき、ジェンダー視点からのコメントを「感情的だ」「批判として正当ではない」と言って周縁化されるときはどうすればいいのか、という質問が出された。エンロー先生は他分野の研究者と議論するとき、自分の意見を正当化させるために専門用語を使って議論を制限してはいけないと助言し、それに加えて専門用語を使わないための訓練としても「教えること」が重要だと指摘した。

本講演は、エンロー先生がフェミニスト研究者として生きてきた人生について語る非常に貴重な機会だった。講演中彼女はシンプルかつ力強い言葉で、聴衆にジェンダー研究の意義を説いてくれた。そして聴衆もその意見に元気づけられたのだろう、とても生き生きとした表情で講演を聞いていた。教えることを通し、私たちフェミニストは双方向的に新たな知を得ることができるのだ。だからこそ私たちフェミニスト研究者は孤独ではない、そう実感させてくれる講演だった。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程  三好文

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第23回 (2013年11月16日)

「生殖技術—不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすのか—」

講師:柘植あづみさん(明治学院大学・教授)
司会:宮地尚子さん(一橋大学大学院社会学研究科・教授)

参加記

CGraSS公開レクチャーシリーズ第23回(2013年11月16日)は、明治学院大学の柘植あづみさんをお迎えして、「生殖技術—不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすのか—」が開催されました。司会は、一橋大学教員、精神科医であり文化人類学者の宮地尚子先生でした。講師の柘植先生、司会の宮地先生とも、理系を修めた後に文系へと学問領域を広げ、新たな分野を模索し挑戦し続ける研究者です。お二人は、以前より交流があり、医療と社会を包含する学際的な視点を培った「若き時代」の話から、レクチャーは始まりました。この瑞々しい話が、これから始まる生殖を巡る袋小路のような現実を照らし出す「光」になったことは言うまでもありません。

本編は、2012年に出版された「生殖技術」の内容を基礎に、近年、アメリカでの生殖技術を取り巻く諸問題を調査した事例やそこから導き出された知見をお話しくださいました。

冒頭で、柘植先生の主な研究テーマである「生殖技術」の定義について、「生殖を本人の意志(will)で制御しようとする技術、生殖を本人とは異なる第三者の意志で制御しようとする技術」と解かれました。そこに横たわる問題として「生殖技術」は、主体と客体が固定されず、常に揺れ動く社会事象だということです。当初は、個人が自分自身の生殖を操るための様々な「技術」でした。次第に「技術」を扱う側(医療者)も受ける側も、自分たちの意志通りにはいかず、他方では、技術に対する信頼が欲求を生成し、意味そのものを改編し続けています。また、これらの現象を医療者側は、技術の進歩を正当化するロジックの一部にして活用していく姿も垣間見えます。そして固定されないからこそ、特に直接関与することが多い女性たちは焦りながら技術を追い、医療者(主に医師)は「患者の要望」と「技術の発展」の両輪から技術を追う現実が、「生殖技術」にはあると述べていました。この他にも「生殖技術」には、生殖の量と質を管理する技術、医療技術と民族技術、医療技術とは何か、医療ではない技術とは何か、女性の尊厳、子どもを持つことと社会、制度と法律、市場などとの関係を考察する必要がある、と提示されました。

次にフィールドワークから得た知見から、生殖(補助)技術によって変化した事象について分析・考察です。第一番目に、家族形態の変化から見る「生殖技術」です。具体的には、アメリカに住む、代理出産で「日本人」の子どもを持ち、育てているフランスの男性の事例、オーストラリアに住む、第3者の精子と女性の妹の卵子でその妹に出産してもらった、不妊症が出会いのきっかけであった男女のカップルの事例などが話されました。生殖技術があるから可能になる、家族形態の変化であり、誰が親で、誰が子であるか、というシンプルな問いに大きな視座を与えました。  第二番目は「生殖技術」が作り出した市場と女性たちとの関係です。特に卵子提供は、提供者と被提供者が必要です。その場合に、かなりの経済格差、階級格差、階層格差が存在します。そこに「誕生」するのが受容と供給の不平等性です。この市場の主役である女性たちは、多様な「思い」を持ちながら、卵子を提供し、卵子を受け取っています。提供者の女性は、学費稼ぎの学生、不妊を憐れむ出産経験者の女性、など個人の事情は多様です。そこに、“子どもが持てる技術”として生殖補助技術が横たわることで「欲望」が生産されています。

第三番目は「生殖技術」と保険制度の関係です。日本では医療保険には入っていませんが、諸外国では医療保険に組み込まれている場合が珍しくはありません。このことは、技術を受ける女性たちの経済的な背景など、技術を受ける「動機」にも大きく影響してきます。それにも関わらず、日本では、「生殖技術」の背景にある経済構造や社会保険制度と「生殖技術」を関連させて議論することはあまりありません。むしろ社会問題として検討するよりは、医療の中の一事象として有耶無耶にしてしまう傾向があります。このことは、卵子が人の手から、医療の手へ、市場の手へ、その先へ移行していることを意味し、それらを検証することを困難にさせています。

第四番目は「生殖技術」と再生医療との関係です。「生殖技術」は子どもを持つための技術であるとともに、再生医療にはなくてはならない技術です。とりわけ、卵子は不可欠な「材料」です。つまり、卵子は「不治の病」を治すそうとするための技術を支える「材料」になっているのです。従って、「生殖技術」とは、ある特定の人々だけが関係する問題ではなく、誰もが考えなくてはならない問題であることが理解できます。

最後に、この4つを貫く課題として「卵子を提供する意味とジェンダー」です。卵子は、女性しかないものであるため、神秘的なものとされ、女らしさの象徴としても作用しています。一方で、女性の手を離れることが多いのも、事実です。そして、卵子を提供する女性は“若い・健康・妊娠能力”、卵子を提供される女性は、“経済力・教養・教育能力”を象徴資本としてそれぞれが意味づけると同時に、女性たちに見えない分断をもたらします。そこには、可視化されない卵子提供の多様な意味があります。個人の動議は、自分のため・他人のため・社会のため・国家のためなど個人によって異なります。しかし背後にある「自己尊重感を欲する現代社会」は共通するとし、レクチャーを締めくくりました。

私たちの社会は程度の差はあれ、「技術の進歩」に対して寛容です。もちろん、技術の進歩によって救われた人々も多くいます。一方で、ある集団を救うために、ある集団が何らかの犠牲や奉仕を積極的/消極的、直接的/間接的にせよ、行っていた歴史も見過ごすことはできません。これの代表が、卵子提供に象徴される「生殖技術」です。これに対して立ち止まり、思考停止せずに、考察することができる、学際的な研究が今後ますます求められます。

女性の生物学的特徴が故に起こる問題でもあり、可視化されにくい事象でもあります。今私たちが考えるべきことは、その場の判断や欲望ではなく、少し先を見据えることでありながらも、現在起きている問題を多角的に捉える視座の重要性であることを、学びました。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程  永山聡子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第22回 (2013年10月25日)

「政治的代表制とジェンダー-韓国の女性大統領をめぐって-」

講師:申琪榮さん(お茶の水女子大学大学院准教授)
司会:伊藤るりさん(一橋大学大学院社会学研究科・教授)

参加記

公開レクチャー・シリーズ第22回はお茶の水女子大学大学院准教授の申琪榮氏を迎えて、昨年の韓国大統領選で当選した朴槿恵の選挙戦略とジェンダーについて、「政治的代表制とジェンダー-韓国の女性大統領をめぐって-」というタイトルでお話をいただいた。講師の申琪榮氏は比較政治学を専門とし、もともと女性運動に関心を持ったことから、日本と韓国の家族法改正についての比較調査を出発点とし、最近では女性の政治的代表制/性(本レクチャーのタイトルでは「代表制」と表記されているが、以下では当日のレクチャー内容から「代表性」の表記を用いる。これらはともにrepresentationの訳語であり、その意味するところの複雑性については冒頭で言及された)について関心を寄せてきたとのことである。本レクチャーでは、朴槿恵の略歴、政治的代表性から見た朴槿恵、朴槿恵のジェンダー戦略、朴槿恵の支持層といったトピックからなっていた。

まず、前提として、彼女の政治家としての歩みについて概観し、その中で2012年の大統領選が位置づけられた。朴正煕の娘として1952年に生まれた朴槿恵は、1974年に母親の死を経験し、そこから政治家としての歩みを始める。最初は父である朴正煕大統領(当時)のファースト・レディとして、1979年の父の死後、一旦政治の表舞台から去るものの、1998年からは国会議員として国政に参与した。2007年の大統領選ではハンナラ党予備選で李明博に敗れるものの、敗北を認めたことで「信念のある政治家」としての評価を得て2012年の大統領選に挑むことになった経緯について言及があった。 続いて、2012年の大統領選における朴槿恵の政治的代表性について検討された。政治学において、代表性はstanding forとacting forの二つの視点から説明がなされる。前者は「代理人」としての立場であり、「似ている」ことが求められる。それに対して、後者は「リーダー」としての立場であり、「特別の能力」が求められる。一般的に女性はこの両者においてその「代表性」が不十分であるとされる。前者について言えば、特定の性の代弁者となることはできるが国民全体を代表することはできない、後者について言えば、国家をリードすることができないという主張がその根拠とされる。そうした中で、朴槿恵も女性であるがゆえに「代表性」の観点から「困難」を抱えていた。主に女性からは(女性であるのに)女性を代表できない「名誉男性」であるといった声や、主に男性からは(女性であるから)分断国家である厳しい状況にある国家を率いることはできないといった声が上がっていた。

そうした背景を踏まえて、朴槿恵がどのようにしてそれを「克服」することになったかが次に考察された。朴槿恵の選挙戦略においては政策で大きな差がつかない中、ジェンダーがポイントになっていたことが強調された。そこで取り上げられたのが、朴槿恵の資質、革新性、女性としての規範の三点である。まず、資質については、朴正煕の娘としてこどもの頃から帝王学を学んだことである。第二に、革新性については、女性性が変化と発展、つまり民主主義の「最先端」と評されるアメリカが実現できていない女性大統領を、韓国が実現することの意義である。第三に、女性としての規範については、朴槿恵が「大韓民国と結婚」するという擬態をとることで、国家の妻、国民全体を支える母としての規範を獲得したという点である。これらにより、朴槿恵は「国家のブランド」という地位を手に入れたという考察がなされた。朴槿恵のジェンダー戦略の巧みさは対立候補の安哲秀、文在寅と対比させることで際立つとのことで、それぞれの候補が選挙戦において用いられた写真の分析が行われた。まず、朴槿恵と安哲秀の写真を比較することで、朴槿恵が男性的女性を示しているのに対して、安哲秀が女性的男性をイメージさせていると指摘された。その両者の写真の性格を踏まえた上で、次に文在寅の写真が分析され、それが彼のそれまでのイメージ、つまり彼が補佐した盧武鉉大統領の「妻」的役割というイメージと異なる男性性を強調した写真が用いられたために、そのギャップからジェンダー戦略に失敗したという考察が導き出された。

では、一体誰が朴槿恵を支持したのであろうか。選挙は秘密投票なので正確なデータを取ることは不可能であるが、投票率をみると大統領選全体の投票率では女性が男性を上回った。2011年の韓国大手マスメディアによる調査の結果によると、朴槿恵の支持層は、女性が男性を上回っていた。世代別では年齢が高くなるほど朴槿恵を支持する傾向があることが指摘された。また、職業では主婦層に朴槿恵の支持者が多かったことが強調された。そうした朴槿恵支持層の支持理由としては「女性であること」が最多であり、政策よりも個人に注目が集まったことが指摘されていた。しかし、「女性である」という点で支持を集めながらも、大統領就任後の朴槿恵の政権運営は必ずしも支持者の期待に応えるものではなかった。特に女性閣僚の少なさ(二人)が際立っている。

最後に、ジェンダー・ギャップ指数について言及があり、世界的に政治的分野でのジェンダー・ギャップが顕著であることが指摘された。

その後の質疑応答では、極めて活発な議論がかわされた。提起された論点は多岐にわたるが、主なものとしては以下のトピックがあげられる。まず、韓国政治の特性について考慮する必要があるという指摘である。特に階級、地域差、世代、ソースとなるメディアのバイアスの四点が挙げられた。その中でも世代の問題とメディアの問題は複数の参加者から提起された。また、分析に用いられた写真や「国家と結婚する」という言説など、選挙戦で用いられた戦術・メディアについての異なる解釈の可能性も指摘された。また、より広い視点からは、アジア各国で「建国の父の娘」が国家リーダーとなっている文脈の中での朴槿恵の位置づけ、アングロ・サクソンの政治文化とフランスの政治文化それぞれと対照させた時の韓国の政治文化についてなど多岐にわたる切り口で議論が展開された。

白熱した質疑応答からは、このテーマが2時間ほどのレクチャーでは議論され尽くせない大きな問題であることがうかがえた。本参加記執筆時点で朴槿恵による政権運営は現在進行中であるが、これが歴史となった時点で再検証した際、ジェンダーの観点から果たしてどのような歴史的評価がなされるのか、本レクチャーでの議論から、そうしたことに思いを巡らせた。

日本学術振興会特別研究員 松岡昌和

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第21回 (2013年7月5日)

「「不法移民」収容キャンプ内部のジェンダー構造」

講師:マルク・ベルナルドさん(ルアーブル大学社会学部教授)
司会:森千香子さん(一橋大学法学研究科・准教授)

参加記

第21回公開レクチャーは、2013年7月5日、ルアーブル大学のマルク・ベルナルド社会学部教授をお迎えし、講演会『ジェンダー・アプローチによる外国人収容所の分析』が開催された。ベルナルド氏は、フランスにおける移民の住宅問題、また外国人収容施設に関する社会学的調査研究を精力的に進めるとともに、外国人支援、反人種差別運動の人文科学、社会科学の専門家によるネットワークのTERRAを運営し、提言活動も行っている。

ベルナルド氏は、収容所の分析にジェンダーの視点を反映させる試みの新しさに言及しつつ、戦犯捕虜、移民、強制労働で暗黙裡に「男性」が想定されているように、ジェンダーの影響が伺える点を指摘した。被収容者である男性は、当局にとって脅威とみなされ隔離され、労働力を提供する資源として労働を強いられる一方で、現代の難民のための人道援助キャンプは、脆弱者を受け入れるという意味で女性の空間と捉えられることが多い。このジェンダーの観点を生かすためには、収容所の空間をより広義に捉える必要があると説く。「収容所」という言葉は、全体主義的な絶滅収容所を想起させるが、その制度化は19世紀以前から存在している。本セミナーでベルナルド氏は、収容所の定義として物理的定義とは別に、物理的な条件に限定されない「収容所状態(forme-camp)」という概念を提起した。前者は、刑務所制度の外部にありながら、壁などによる外部からの遮断、監視体制、有刺鉄線、仮設住居などに特徴付けられる空間に、人々を収容して自由を奪い、文化的同化、強制労働、制裁、破滅、殺人等が実施される。後者の「収容所状態」とは、収容所と思えるような状態のことを指し、建物などの物理的な空間がなくても状態としての収容所が存在しているという見解が示された。「収容所状態」は、複数の機能を具備しており、合法性と非合法性の境界が曖昧で、かつ世界を善悪に分類した時に不均衡に見える場合、このような考え方が出てくると言う。本セミナーの講演は、収容所とジェンダーの問題に関する歴史的背景、現代社会における問題群、保護や解放の空間としての収容所の可能性と3つの部分から構成されていた。

最初の歴史的考察では、収容所形態の発展には植民地と奴隷制度が深く関与している点が強調された。収容とジェンダーが交差する現象は、植民地のプランテーション及び人身売買が盛んになった頃に出現した。収容所形態の発展における要因は、プランテーションの黒人女性奴隷の管理における労働搾取と性的搾取、ヨーロッパから植民地に送り込まれた女性、「原住民同化政策」におけるネイティブ女性の管理が特に重要であった。また、プランテーションという空間ではジェンダーを軸とした権力構造があり、女性への暴力が頻発し、植民地の女性は性と人種、植民地支配の秩序を乱す脅威として表象された。

次に現代におけるジェンダーと収容所の問題に関しては、「収容所状態」の観点から女性が経験している特別な構造的問題について言及された。まず、女性に特化された「収容所状態」とは、広義な意味における性的搾取であり、それは性的サービス、人口増加を行うためのものや婚姻関係を持つことをも含んでいる。そして、相手の人種に対する好悪の度合いにより女性に劣等感を抱かせる表象を鑑みながら行われる。例えば、軍隊が設ける売春婦、大衆向けのセックス観光、紛争下での収容所における性的暴行、レイプ、民族浄化、名誉戦争などがある。また、地域紛争における女性の強制的な借り出し、人質、後方部隊としての家事、性的慰安の提供者という女性の軍事化の問題もある。ベルナルド氏はまた、グローバリゼーションの元での移民女性を、マルクスの産業予備軍に倣って、グローバリゼーションにおける快適さ、慰安をもたらす予備軍であると指摘する。グローバルな移民労働市場の拡大は、グローバルエリートに家事労働、性的労働を提供する存在としての移民女性労働者の移動を誘発し、その結果移民女性労働者は、「快適さ、慰安をもたらす予備軍」となっているという。そして、現代における収容所は、移民政策の厳格化、軍事化を推進する中核的措置として、新しい形態の性の生政治の一部を形成している。この「新しい管理制度」は、植民地時代の本土や植民地で見られた西洋人と現地人の間の性関係の延長線上にある。移民女性は、労働問題、人口問題の解決の一端を担うとともに、性的欲望として対象化され、また人種の純粋性を汚す下級女性として忌む者とみなされ、女性、外国人、プロレタリアと幾重ものハンディを負っており、「捕獲政策」のターゲットとなっている。また、国際結婚の下で南側諸国から北側諸国へ嫁ぎに来るという移住形態での女性は、受け入れ国の家族以外の人には会えず、一種の軟禁状態に置かれている。ベルナルド氏は、この厳格化した移民政策の目的は、移民の数を減らすことではなく、市民の中に下層市民を作り、常に強制収容が執行される可能性のもとで彼らの定着の可能性を管理することであると強く主張された。

最後に、収容所自体が移住女性の解放と保護の空間となり得るか否かについて、主に3つの視点から言及された。1つは、ジュネーブ条約で定められた女性の保護規定の効力と問題点である。移民女性の保護は、出身国文化への批判を通じてなされることが多く、結果的にポスト植民地移民の子孫の男性を罪人化し、移民は生物学的脅威であり善良なる社会を脅かすものという認識を生み出している。2つ目は、人道支援目的キャンプにおける女性支援活動の成果で、キャンプ内で提供される教育や労働の機会を通じて、また女性を中心とした家族が構成されることにより、収容の長期化は女性が社会復帰や地位向上を果たすきっかけを提供している。しかし、移住先社会での家父長制の復活や帰還後の生活条件の悪化により、残念ながら女性の保護や解放はキャンプ内に限定されがちである。また、UNHCRやNGOがキャンプの女性を介して運営原則や人道および道徳に関する説明を行うため、女性は被害者、弱者のレッテルを貼られ、その結果彼女らの政治的主張が困難になるという。3つ目は、非正規滞在移住女性による運動であるが、不法移民であるがゆえに組合を作れず、結束が緩く、働く時間の違いによる結集が難しく、メディアの無関心等多くの障害が存在している。しかしながら、21世紀のグローバルなネオリベラリズムの進展と保守の革命という潮流の中、非正規滞在者の運動は中心的存在である。ベルナルド氏は、難民、移住女性の自由を確固としたものにするには、どこに住んでいようと十分で確実な市民権の付与が必須である点を強調し、講演を締めくられた。

質疑応答では、南の人道支援キャンプと北の外国人収容所の保護と抑圧という対立軸や、「収容所状態」の物質化がいかなる現象に当てはまるかという点など、「収容所状態」という概念について質問が多く投げかけられた。ベルナルド氏の説明では、キャンプ自体が保護の機能をある時点で失ったり、権利付与も恣意的で待機が制度化しており、収容所という制度が潜在的、個別経験的で不可視化されたりしている。この概念の非物質化、潜在化、不可視化といった特徴は、国際結婚による移住女性や人身取引に巻き込まれた女性等、「収容所への収容」を経ない多くの搾取の現実を射程にしており、会場の参加者にはジェンダー分析における概念の有効性について希望を抱かせるものであった。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 鈴木美奈子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第20回(2013年 6月19日)

「フランス・フェミニズムの両義性と隘路」

講師:ナシラ・ゲニフ=スイラマさん(パリ=ノール大学准教授)
司会:伊藤 るりさん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

CGraSS公開レクチャーシリーズ第20回では、フランス・パリノール/第13大学から社会学者のナシラ・ゲニフ=スイラマ氏を迎え、フランス、ヨーロッパ、さらにはより広い地域で今日重要な問題となりつつある、フェミニズムにおける人種主義とナショナリズム、それに起因した運動の分断とジレンマ、これらを乗り越える連合の可能性について、フランスのケースから豊富な事例をもとにお話を伺った。

フランスには、戦後多くの旧植民地出身者が移住し(ゲニフ=スイラマ氏自身もアルジェリア出身の両親をもつ)、今日までに子どもや孫の世代がフランス市民として定住している。その人々のなかにはイスラム教徒が含まれるが、ゲニフ=スイラマ氏によれば、今日のフランスでは、イスラムが(個人の信仰のレベルを越えた)「浮遊するシニフィアン」(S.ホール)となり、様々なナラティブと結び付けられているという。「内なる他者」、脅威としてのイスラムというナラティブにくわえて、彼女が注目するのは、女性や女性性と関連づけられたイスラムについてのナラティブである。ゲニフ=スイラマ氏はまず、これらのナラティブを、性的分断線のなかに埋め込まれた人種的分断線の問題として位置づけ、これらの分断が、同性愛憎悪とイスラム憎悪を連合させると同時に、フェミニズムやジェンダー平等の闘争に深い打撃を与えているのではないかと提起した。

分断と(憎悪の)連合の事例として、彼女がまず取り上げたのは、2011年7月にノルウェーで起きた銃乱射事件である。この事件の犯人である白人男性A.ブレイヴィクは、公共施設を爆破した後、ウタヤ島での集会に参加していた数十名の左翼活動家の若者たちを殺害した。この事件の予告文書において、彼は、ノルウェーや欧州が「イスラム化」していることを指摘し、それを「女性化」として表現した。このオリエンタリスト的な表現には、過去にナチズムにより動員された、正常/異常なセクシュアリティについてのアーリア主義的レトリックが含まれ、同性愛憎悪と異性愛憎悪が結びつけられているという。

二つ目の事例は、2013年6月にフランスで起きた、左翼活動家でパリ政治学院の学生、C.メリックの殺人事件である。右翼男性との衝突において死亡したこの学生は、同性愛嫌悪主義者への対抗運動とムスリムの女性たち(公共の場でのスカーフ着用禁止が制度化され、スカーフを着用した状態での子どもの送り迎えや課外学校への参加が許されない状況への反対を訴えているムスリム女性たち)の反人種差別運動を同時に支持していた。ゲニフ=スイラマ氏は、「(ムスリム)女性の救済」というナラティブのもとに、イスラムの家父長制を、「普遍主義」的に批判するフェミニストと「白人男性優位」の視点から批判する左右の保守政治家たちの間で、(イスラム憎悪を軸とした)あり得ない連合が見られる点を指摘すると同時に、この若い学生の取り組みに、二つの分断された闘争を結びつける新たな連合の可能性を指摘した。

ここで、フェミニストと保守男性政治家のあり得ない連合の背景として、ゲニフ=スイラマ氏が指摘するのが、フランスのフェミニズムに潜む「ホワイトネス(whiteness)」と「ホワイトニング(whitening)」である。「ホワイトネス」は女性のなかの弱者(権利を求める女性/集団)をディスエンパワーさせる権力を伴い、「ホワイトニング」の手続きにより助長される。「ホワイトニング」の手続きにおいては、第一に、様々な社会現象が(一定の側面から)着目されたり、逆に退けられたりする。この例として、当時IMF専務理事だったドミニク・ストロス=カーンが、ニューヨークのホテルで売買春の容疑で逮捕された事件が挙げられた。この事件にたいして、フランス・フェミニズムが、(相手女性がギニア出身の女性であった点において)植民地主義の文脈を考慮する可能性を排除し、性暴力の問題としてのみ扱う構えを見せたという。

次に、「ホワイトニング」の別の側面として、「パッシング(passing)」が指摘された。これは、褐色・ブラックの肌の女性が、フランス共和主義フェミニズムへの正当な地位を手に入れるために、西洋的価値観と呼ばれるものへの忠誠を示すだけではなく、自らの非白色性をかき消す、ないしは無視することを意味する。例として挙げられたのは、2012年に社会党内閣で若くして大臣職についたナジャット・ヴァロー=ベルカセムの出自の掻き消し/無視、すなわち「パッシング」である。自らが大臣職についたことへの「気後れ」について、「女性であること(女性の「劣等性」を内面化しているための発言)」を理由に挙げる一方で、「非白人」としての出自に言及しない「パッシング」を通して、彼女は「ホワイトニング」の手続きをとっているという。
 こうした議論をふまえ、レクチャーの後半部分で、ゲニフ=スイラマ氏は、性的分断線・人種的分断線と憎悪の連合に対抗するものとして「肌の政治(skin politics)」とそれを作動させる「裸体のレジーム(regimes of nudity)」という概念を提示した。その事例に挙げられたのは、ウクライナ生まれの反教会フェミニスト集団フェメンとメキシコ原住民男女の運動である。

フェメンは、国家の政治的弾圧に抵抗するための「乳房露出パフォーマンス」で知られる。彼女たちによる裸体での政治的パフォーマンス、しかも(授乳の表象と結びついて)処女性や国家への奉仕といった意味合いを暗示する乳房を露出し、そこに政治的なメッセージを書くというやり方は、(女性の性を商品化する)ネオリベラルかつ(女性に処女性や奉仕を求める)家父長的な権力への全面戦争として捉えられるという。

他方で、メキシコ先住民男女の運動の事例は、同じ「身体の政治」でも、異なる「裸体のレジーム」のあり方を示している。この事例は、自分たちの土地を強制的に退去させられた男女が、メキシコシティの中心部で裸体でのデモを行ったというものだが、先住民男女の裸体は「無防備で、脆い」ものとして示され、「あたかも潜在的な暴力を招き入れるような裸体のレジーム」であるという。かれらはこのデモにより、土地を取り戻すことに成功した。

ゲニフ=スイラマ氏によれば、両者の事例を考える場合に、どの主体が、どのような目的のために、どのように身体をいかすのかを考える必要があるという。フェメンによる「裸体のレジーム」は、ヨーロッパからブラジル、さらにアラブ世界へと輸出されているが、フェミニストによる「裸体のレジーム」がどれほどの/どのようなインパクトを持つのかという点について、ポルノグラフィや商品化されたエロスとの関わり、人種主義・ホワイトネスとの関わりで考えていく必要があるということだった。

結論としては、分断の政治から抜け出す道を「サブ/オルタナティブな連合」として位置づけ、考えていく必要性が提起された。そのためには、様々な問題を名付け直し(ホワイトニングなどの表現は彼女独自の名付け直しの一例だろう)、様々な分断戦を撹乱していくことが求められるという。
 長時間に及んだレクチャーのあと、フロアからはいくつもの質問(日本における在日の運動の文脈や、オランダにおける極右の台頭などの文脈との関わりにおいて「サブ/オルタナティブな連合の可能性」についてより詳しく聞きたいという声、フェメンの運動と人種主義の関わりについての問い、スカーフ禁止法のインパクトについての問い)があがった。

フランスで留学生として彼女の指導を受け、彼女と身近に接している私としては、活き活きと質問に答えるゲニフ=スイラマ氏を前にして、この「分断から連合へ」という議論を、彼女自身の認識論的闘争に重ねて見た。アルジェリアからの移民の子どもとして社会学者になり、「エスニシティ」という講義科目を大学で設置することすら難しい、共和主義的保守のフランス学術界において、「人種」の問題を主要な研究テーマとし、しかもフェミニズムやLGBT運動のなかの人種主義を告発することは、なかなか精神的なタフさを強いられる。さらに彼女は、他の教授たちから「テーマが『繊細(sensible)』すぎる(つまり、政治的に挑発的である)」という理由で断られた院生たちを進んで受け入れている。扱うテーマも、学生も「パッシング」せずに全面的に闘うことを選ぶ彼女が、フランスからイギリスやアメリカ、そして中国や日本にまで好んで講演に出かけていこうとするのも、彼女自身が「分断から連合へ」の実践を行う意味があるのではないだろうか、と考えさせられた。

パリ=ノール大学、一橋大学大学院社会学研究科博士課程 田邊佳美

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第19回 (2013年1月18日)

「金融化された資本主義と新たな収奪の形態――横奪=嵌取dispossessionによる蓄積とジェンダー」

講師:足立眞理子さん(お茶の水女子大学大学院教授/ジェンダー研究センター長)
司会:伊藤 るりさん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

シリーズ第19回となるレクチャーは、グローバル化とジェンダーの議論の中で不足している部分について、政治経済学だけでない視点からも議論を活性化させたい、という足立眞理子さんの熱いことばから始まった。グローバル化のジェンダー分析においては、生産領域、そして再生産領域に関する議論がなされてきたが、「金融領域のグローバル化とジェンダーの問題」は十分に問われてこなかった(Diane Elson 2012)。足立さんによれば、生産、再生産、金融の諸領域の問題を結合させていく必要があるが、特に金融領域については、資本の蓄積とジェンダーに関わる「dispossession収奪(※)」の新たな形態を捉えることが、現代グローバル資本主義を捉えるうえでのジェンダー研究の課題なのである。

「ディスポゼッションによる蓄積」はデヴィッド・ハーヴェイの用語である。ハーヴェイはローザ・ルクセンブルグが示した、再生産の問題(非資本主義的社会関係と特定の社会層に依拠してのみ資本主義そのものが再生産される)と二重の蓄積過程(搾取と収奪の同時並行的継続によって資本主義的蓄積が起きている)についての理論を評価しながら、「ディスポゼッションによる蓄積」概念を現代グローバル資本主義理解のために用いる。足立さんは、ハーヴェイのローザ・ルクセンブルグに対する評価については、ハーヴェイが、原始的蓄積過程の継続と資本主義の外部の必要性を評価しつつ、ローザ・ルクセンブルグの過少消費説恐慌理解に疑問を投げかけるという点で、概ね妥当とみなす。しかし、彼が同時に示した、現代資本主義における恐慌の理解(資本の過剰蓄積)では、90年代以降のアメリカ金融自由化の中で起きた収奪の形態に、的が絞れてこないことを指摘する。特に、2008年のサブプライム危機以降に焦点を当てながら資本主義の性格を考える際に、新たな収奪による蓄積について、金融化された資本主義の仕組みについてはより緻密な議論が必要だということだ。

そこで足立さんはアメリカでの予備調査に基づく、地域信用組合の仕組みの解説を通して、金融化された資本主義とは、商業信用―銀行信用―中央銀行というこれまでの信用機構論の意味の変化、あるいはその機構生成そのものの問題として理解することが重要であると解説する。新たなディスポゼッションは、自由/不自由賃労働の収奪の問題を越え、ある種の自発性を伴いながら債権―債務関係への巻き込みのシステムの中で起きているのである。シャドウ・バンキング・システムの中では、個人のクレジットリスクのスコアは、過去の「利子つき返済」の実績にのみ左右される。例えば、ある女性が住宅ローンを組むのに、正規雇用者か否かは関係ない。しかし同時に、一度でも返済に失敗すれば、他の消費者クレジット支払いの利率も連動して上がり、全てを個人が負うはめになる。サブプライムローン以降のこうしたシステムの中で、銀行信用の機能は本来の信用をモニタリングするという形から、信用を販売する側に転じた。つまり、証券化商品の発行体が間に複雑に挟まったことで、銀行は住宅ローンの借り手の債権を、証券発行者へと売り渡し、資金を調達するという機能を持つようになった。また、社会的な属性に縛られることなく経済活動・構造に参加し、そして収奪されるという過程と結果にはフェミニスト・イデオロギー上の問題も発生している。

特に、「自営」という形態で働く者(=正規の雇用関係の外部で働く者)が、グローバル資本主義の最大のターゲットとなり、債務奴隷に陥るというケースが顕著であり、まさにここに、新しい形の収奪があると足立さんは注目する。具体的な例として、アメリカにおけるエクアドル出身の家事労働者女性のケースが紹介される。彼女がサブプライム危機後にショートセール(任意売却)で購入した家は、その後も大幅に価値が下がり続けているのだが、「自分が所有した(させられた)」という事実を与えられることによって、彼女は利子を払い続け、収奪されているのである。足立さんによれば、「所有する/させられる」、すなわち「私的所有者とであるとみなされる身体」ということから派生する収奪のありかたは、厳密な意味での銀行の信用機能の変化とともにしか理解できない。これが金融化された資本主義における新しい収奪の形態だが、この関係はまだ十分に解明されておらず、今後ジェンダー分析の視点から、議論する必要性がある。たとえば、従来のジェンダー論では、所有からの排除/包摂が問題となるが、今浮かび上がってきているのは、まさに境界線を飛び越えて巻き込みが起きるとき、「あなたは今や所有していると名指される」ことから生じる。「何を?」と「主体」は答えてしまっている、これこそが問題なのだとレクチャーは締めくくられた。

質疑応答は、収奪される資本主義を社会、個人、貨幣のどの水準から切り取るべきなのか、資本の蓄積形態はどう変化したのか、所有していると思わされる新しい身体とは誰か、という疑問をオーディエンスと足立さんとで解きほぐしていくような作業であった。金融化されたグローバルな資本主義による搾取の実態と、その実態を理解するための概念と理論についてはいまだ手探りの段階であるため、ディスカッションにはすれ違いもあったが、何かが起きていてそこにジェンダー分析が必要である、という確信は共有されていたといえる。

限られた時間ではあったが、わたしは重大な議論の入り口を覗くことができたと感じた。帰途の道すがら、ふと、何年も顔を見ていない親戚を保証人として返済を誓約した「奨学金」という名の学生ローンを、自分がウン百万と抱えていることを思い出した。自分が新たなディスポゼッションからそう遠くない位置にいるような気がしたとき、今回のレクチャーの重みがずしっと増したのである。ディスポゼッションに抗う可能性についての議論も期待される。

Elson, Diane. “Finance, production and reproduction in the context of globalization and economic crisis,” ジェンダー研究 : お茶の水女子大学ジェンダー研究センター年報15 2012. 3: 3-12.
※“dispossession” の訳語については、「横奪」、「嵌取」も検討されているが、ここではレクチャー中に口頭で最も使われていた「収奪」を用いた。

 一橋大学大学院社会学研究科博士課程 工藤晴子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第18回 (2012年12月14日)

「外国籍女性たちの3・11『以前・以後』と改定入管法」

講師:鄭暎惠さん(大妻女子大学大学院・人間文化研究科教授)
司会:伊藤 るりさん(一橋大学大学院・社会学研究科教員)

参加記

2012年12月14日、鄭暎惠先生をお招きして公開レクチャーシリーズ第18回「外国籍女性たちの3・11『以前・以後』と改定入管法」が開催された。今回の講演では、震災「以前・以降」と呼ばれる移り変わりにおいて、外国籍住民がどのような状況におかれていたのかを、東日本大震災で被災した外国籍住民に対する先生ご自身の活動経験や資料から明らかにするとともに、2012年7月に施行された改定入管法がもつ意味や影響についてお話しいただいた。以下、三つの点に分けて要点を記す。

第一に、東日本大震災で被害をうけた外国籍住民についてである。震災における死者・行方不明者は住民基本台帳をもとに算出されていたため、何人の外国籍住民が被害をうけたか、正確な数値は分からない。外国籍住民総数のうち韓国籍・朝鮮籍の人々の割合が高く、中には独居老人や無年金生活者がいることも想定される。また、避難所生活では支援物資が届くかどうか、分からない中で精神的な不安を抱える人が多くいたに違いない。ある外国籍女性のケースでは、避難訓練の経験がなく、買い占めによる食糧不足で子どもに十分に食事を与えられず、周囲からも孤立し、母国の家族に迷惑をかけることを懸念して帰国することもできずに苦悩するという状況だった。震災をきっかけに、これらの外国籍住民が地域社会ネットワークにつながれたという見解もあるが、震災「以前・以降」で外国籍住民の状況がなにか劇的に変化したというよりも、むしろ以前からの深刻な状況が継続・悪化したと考えられるのではないか。

第二に取り上げられたのは、外国籍女性への支援のあり方についてである。日本での支援は、往々にして日本人主導のもとで支援が進められ、外国籍女性自身が主体的に支援活動に従事することはむずかしい。日本語能力が厳しく問われ、外国籍女性は当事者であるにもかかわらず、補助的、あるいは従属的な立場に置かれがちである。また支援者としての処遇も日本人と対等に扱われないことがある。「支援」という名の支配が生じる。これに対して、たとえば韓国では、移住労働者の労働組合は、現在、フィリピン人移住者が委員長となっていて、韓国人はあくまで通訳などの後方支援にまわっている。  なぜこのような差が生じるのか。いくつかの理由が考えられるが、問題を支援者内部の問題として捉えるだけでは不十分だろう。「支援者の貧困」の問題も考慮にいれなければならない。日本では、NPOや支援団体に対して、国は十分にサポートをしない。このため、日本人支援者も経済的に困難な中で活動を展開しているのである。このことが、支援の体制にも影響してくる。

最後に、新しい在留管理制度の施行の問題が取り上げられた。2009年に成立し、2012年7月に施行された改定入管法は、アメリカにおける住民管理システムを一部取り入れている。今回の法改正は、外国籍住民と日本国民の双方をより効率的に支配するための施策の一環であるにもかかわらず、日本国民の危機感は薄い。申請を拒否したり、規則に違反したりすれば厳しい罰則が科せられる。こうした状況を捉えるうえで、鄭先生はJ.バトラーの『生のあやうさ』を引用しながら、プライバシーや自由への権利を侵害するかたちで、近代国家が崩れ、専制的な監視社会が形成されつつあるとの見方を示した。

まとめとして、①「支援」という名の支配から解放されるにはどうすればよいか、②外国籍女性が自立し、「分離独立」をめざすとすればどう行動していくべきか、③もし近代国家が崩壊しつつあるのだとすれば、その後にどのような社会が来るのか、という三つの問いを会場に投げかけて講演を締めくくった。  ご自身がフィールドの最前線で活動された経験に基づき、詳細な情報も交えながらの報告は、臨場感にあふれ、論点も明快であった。講演後、フロアから「差別の問題は深刻きわまるのに、どうして暗くならずにやっていけるのか」との質問があった。「わかりませんねー(笑)」、「でも、本当に変わらないと思ったらやってられません」――こうした応答の中に、先生の実践や活動の背後にある熱い思いを、ひしひしと感じとることができる講演であった。

 一橋大学大学院社会学研究科修士課程 田口ローレンス吉孝

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第17回 (2012年5月31日)

「Filipino Nurse Migration: Histories, Geographies, and Ethics」

講師:Prof. Catherine Ceniza Choy(University of California at Berkeley)
司会:貴堂 嘉之さん(一橋大学大学院・社会学研究科教員)

参加記

第17回CGraSS公開レクチャー・シリーズでは、カリフォルニア大学バークレー校のキャサリン・セニサ・チョイ先生が現在のフィリピン人女性看護師の国際移動に関する講演を行い、重要な分析視角を提示し問題提起を行った。チョイ先生はニューヨーク育ちのフィリピン系アメリカ人であり、かの女の母親はまさにフィリピンから移民してきた看護師である。このチョイ先生のバックグラウンドに基づく関心から、かの女は『ケアの帝国-フィリピン系アメリカ人史における看護と移民-』を2003年に出版し、数々の賞を受けている。

最初にチョイ先生は現代の医療従事者の国際的移動をめぐる状況と、その中でも顕著なフィリピン人女性看護師の移住に関して解説した。現在起こっている医療従事者の国際的移動は広範囲かつ多種多様であるが、一方で変化しない兆候が三つある。それは医療従事者の移動が貧困で植民地だった「南」から富裕で宗主国だった「北」へ向かうものであるということ。次に国際移動する医療従事者の大半が医者や看護師であること。最後に移住者はより良い生活を求めて移動してゆくということ。この潮流において、フィリピン人看護師の国際移動は最も顕著な現象である。だが看護師の国際移動が始まった20世紀初頭から今日に至るまで様々な歴史的変化を経ており、フィリピン人看護師と一口に言えども、実態は世代によって多様性に富んでいる。その中で今日のフィリピン人看護師の国際移動の特徴として以下の点が挙げられる。かれらは合衆国で働くのを望んでいるということ。そして多くは最初に中東諸国、シンガポールや英国で働き、合衆国で働くための必要経費を蓄えること、またその第三国経由のシステムが人材派遣会社によって制度化されているということ。かれらが合衆国で働くのを望むのは、一定期間働けば市民権を取得できるためであること。ならびにフィリピン人医療従事者の国際移動は合衆国とフィリピン共和国の政策によって促進されていることも、かれらの移住を語る上で重要な点である。

フィリピン人看護師は国際移動する医療従事者のモデルとして語られることが多い。しかし一方で、その移動に付随する頭脳流出や差別の問題は注目されてこなかった。フィリピンの看護師不足を示す証拠として2004年の調査は人口十万人に対し合衆国や英国は約八百人の看護師がいるのに対し、フィリピンでは約四百人しかいないことを明らかにした。さらにフィリピン人医師も合衆国で働くことを希望しているため、看護師資格を新たに取得し、フィリピン国外で働いている。問題はこれが単なる第一世界による人材の搾取ではなく、フィリピン政府の一向に成果を挙げない失業者対策や移民からの送金への依存体制がそれを加速させていることだ。次に看護師が強固に女性化され人種化されていることもポイントである。自律的かつ多芸でありながら男性または雇い主に従順な理想的労働者/母親/娘というイメージに基づき、フィリピン政府や職業紹介事業者は理想的フィリピン人看護師像を作った。その独立独行のイメージは各種メディアが看護師の直面する諸問題に注意を向けることを妨げたため、かの女たちの苦境は報道されてこなかった。しかし実際1960年代からフィリピン人看護師が合衆国で低賃金、無保険、無補償、人種差別、フィリピンと異なる英語の発音や表現、過重労働などの問題を抱えてきたことは事実である。以上の問題整理を受けて、チョイ先生は五つの政策提言を行なった。フィリピン人看護師の問題を歴史的文脈で捉えること、看護師の採用確保と仕事の満足度を決めるものを見直すこと、国際的な看護師採用の倫理的問題だけでなくプッシュ要因となる送出国の貧困、失業、政情不安についても考察すること、医療従事者の受ける抑圧に目を向け労働環境の改善を図ること、受け入れ国における医療従事者の移民の貢献を周知させるための制度を検討することである。

レクチャー終了後、フロアからは多くの質問がだされ活発な議論がなされた。歴史的文脈に関する質問として、合衆国の植民地政策によってフィリピンに看護学校が作られた理由、20世紀初頭にはフィリピン人男性看護士がいたにも関わらず数が減少した理由、合衆国におけるフィリピン人の社会的地位の変化などが問われた。また現代のフィリピン人看護師の状況に関するものとして、看護師自身の社会的地位や家族形態、医者が看護師に転身することが看護師のジェンダー規範に与えている影響、インドネシアの看護師との異同、フィリピン人看護師が受けた差別と黒人差別との相似性などが指摘された。全ての質問がジェンダー、あるいは人種の問題に関わっており、チョイ先生がレクチャーの中で提起した問題関心に沿うものであった。

本レクチャーは約二時間半にもおよび盛況を呈した。学部生、院生、学外生など学校の境を超えて参加者が集まり、質疑応答だけで一時間以上とった。これもチョイ先生の研究への関心の高さを示しているといえるだろう。現在チョイ先生は合衆国で行なわれてきたアジア系の子どもの養子縁組に関する研究を進められているそうである。多様な人間のアジア-アメリカ間の国際移動に関する研究領域は注目分野であり、チョイ先生の次回作Global Familiesの刊行が待ち遠しい。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 三好文

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第16回 (2012年1月20日)

「「人間天皇」の表象――「天皇ご一家」像から見えるもの 」

講師:北原恵さん(大阪大学大学院・文学研究科教員)
司会:坂元ひろ子さん(一橋大学大学院・社会学研究科教員)

参加記

CGraSS  公開レクチャー・シリーズ第16回は大阪大学の北原恵先生を招いてのお話だった。北原先生は、アートとアクティヴィズムに関する著作を出版されるなど、美術、政治、そしてジェンダーの重層的な関係を対象として幅広い執筆活動をなさっている。今回のレクチャーでは、天皇一家の図像の変遷を、「国民統合の象徴的役割を担ってきた家族写真」(ブルデュー)という視点から読み解き、そこに見られるジェンダーの揺らぎを、豊富な資料をもとに提示されていた。

地震・津波の被災地や避難所を訪問する天皇一家、死者に祈りを捧げる天皇一家、正月の参観日に小振りの日の丸を左右に振る観衆に微笑む天皇一家。大メディアに頻繁に顔を出すこの特異な一家は、近年、女性天皇の可否をめぐる議論など、ジェンダー役割をめぐる議論がつねにつきまとう。しかし、ジェンダーとセックスの固定化(産む存在としての女性性)を前提として話題にされるばかりで、その前提となる天皇のジェンダー表象自体が問われることは少ない。北原先生は、明治以降の家族制度と天皇制の相互的に規定しあう関係に焦点を当て、当然視されている「ご一家」の図像のジェンダーが決して一貫したものでもなく、また当初から目的論的なものとして構築されてきたのでもなく、むしろ、新聞など付される写真=図像を通して、遂行的に想像され、構築されてきたのではないかと問う。レクチャーの構成としては、戦前の家族像の形成、占領期の「人間」天皇の形成、現在につながる戦後「ご一家」像の形成と、三つの次期区分をもとに、新聞に掲載されてきた正月写真を中心として(第二期に関しては、写真集『天皇Emperor』と雑誌『ライフ』をも読解対象として広げつつ)読み解く作業だった。

とりわけ、第二期の占領期における「幾重にも錯綜してジェンダー化される」天皇という論点は、現在の天皇制とジェンダー体制の錯綜する相互規定的関係を相対化する視点として重要だと思われる。敗戦直後のメディアで天皇の非人間的な暴力性が批判される中、中野重治が1947年の雑誌『展望』で発表した『五勺の酒』において「女性的なやさしさ」について描いているが、図像においては単純に女性化されるわけではない。例えば、戦前までは、立ち姿で鞘に手をあてている写真が主だったが、1946年の朝日新聞では、皇后とともに散歩する写真、女性が鶏に餌をやっている写真、などが登場する。あるいは1950年(当時裕仁46歳)には老人として孫と戯れているように表象されている写真が掲載される。このジェンダー表象を北原先生は、「女性化」や「老人化」など揺らぎがみられるだけでなく、家族と同一空間に描かれつつも女性領域と切り離されて表象されることで、完全な女性化を免れているという(マッカーサーとのツーショットにおける裕仁の限定的な女性化については、北原恵「表象の"トラウマ"―天皇/マッカーサー会見写真の図像学」森茂起編『トラウマの表象と主体』所収、新曜社、2003年で論じられている)。

唯一心残りがあるとすれば、最後に紹介され、また、ご自分でもまだ整理がついてないと語っておられた、植民地における「ご一家」写真と「内地」におけるそれとの連環について、より詳細に展開していただきたかった(これは質問しそびれた私の責任でもあるのだが)。北原先生は、『台湾日日新報』と『京城日報』の元旦新聞における皇后写真の使われ方の差異について触れ、「植民地といっても一括りにはできない」と指摘されていたが、天皇一家の図像、とりわけ、そこでの女性性の使用が、帝国の拡大期にいかに編成されてきたかを明確にすることは、ドメスティックな興味・関心にとどまりがちな天皇制議論の射程を広げることになるだろう。同時に、そのような作業は、戦争責任への批判的精神を喚起し続ける富山妙子氏の作品への、あるいは、大浦信行氏の天皇コラージュ作品が2009年沖縄県立美術館で開催された「アトミックサンシャイン展」において検閲にあったことで浮き彫りになった、天皇制、検閲、そして植民地主義のそれぞれの共犯的関係に対する何度目かの批判的検討への、アカデミズムからの応答となりうるのではないだろうか(北原先生はこの事件に関連して、以下の論集にも論考を寄せているので参照されたい。「<<遠近を抱えて>>の遠景と近景?戦後美術における天皇表象」『アート・検閲、そして天皇?「アトミックサンシャイン」in沖縄展が隠蔽したもの』沖縄県立美術館講義の会・編、社会評論社、2011年)。

 一橋大学大学院社会学研究科博士課程 吉田裕

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第15回 (2011年7月15日)

「20世紀前半のモンゴル族(内モンゴル)女性の伝統と現代」

講師:包英華さん(内モンゴル大学・専任講師)
司会:坂元ひろ子さん(一橋大学社会学研究科・教授)
通訳:呉忠良さん(早稲田大学大学院文学研究科・博士課程院生)

参加記

包英華さんの今回のレクチャーは、中国のなかのモンゴル族という、エスニシティーの立場からアジアの女性史を考える視点が提起され、普段知ることのできない貴重なお話に知的刺激をうける内容であった。報告は日本語、質疑応答は呉さんの通訳によった。

包さんは、20世紀の初頭にモンゴル独特の伝統が「近代」のなかに組み込まれつつ女子教育が立ち上がり、そこで自立をめざした女性たちに注目する。当時の内モンゴル地域は清朝の支配下にあり、科挙も共通しており「漢化」する部分もあったが、モンゴル各部族はそれぞれの王族による地域統治を維持し遊牧民としての生活習慣や文化も続けられていた。清朝改革派の漢人官僚や、新たに台頭した日本などが、これらの王族との関係を持つようになったことが、近代的な女子教育が導入されるきっかけとなっていったという。

興味深いことは「高原の母」と呼ばれたモンゴル独特の伝統――遊牧民として外へ出ていく男性たちのかわりに、日常の生産活動のほとんどをひきうけていた女性たちが、次代を担う子どもを育てる母親として尊敬を集めていたこと――と、近代化をすすめる日本の「良妻賢母」及び中国の「賢妻良母」思想とが結び付いたという指摘である。

実はこうしたモンゴル族の近代的女子教育を最初にはじめたのは、内モンゴルでも北京に比較的近い東部のカラチン右旗(部族単位であり、清朝の行政区分でもある)の王族グンサンノルブであり、彼は1903年日本へ秘密裏に視察に訪れて、日本の近代教育に影響をうけ、下田歌子と面会、女子教育のための人材派遣を要請した。これに選ばれたのは日本の華僑学校・上海の女学校での教職経験者、河原操子であった。河原は日露戦争直前という情勢を反映し、半分は情報工作の任務を負わされた。内モンゴルへ赴任後、最初の女子学校である毓成女子学堂の設立と運営をまかされ、河原の帰国の際には3人のモンゴル女学生が日本へ留学し、彼女らの帰国後は各地で教育に従事したとのことである。20世紀初期からの日本の対外進出政策との関係の深さがうかがえる。

質疑応答では、「高原の母」について、チンギスハンの母親などの歴史的な人物モデルがあり、それを母から子へと伝えられるという話、内モンゴルでの研究状況に関して2005年にはじめてモンゴル女性のモダニティーをナミヤ氏が提起したこと、などが紹介された。また戦争と女性の教育のかかわりについては今後さらに検討が必要であり、包さんはナミヤ氏が触れていない女性たちの社会的な背景や「革命女性」のあり方について研究を深めたいとのことであった。このような研究交流が、相互に影響を与えあって、アジア地域におけるジェンダーやエスニシティーをめぐる多様な議論がさらに深まることを期待したい。

 一橋大学大学院社会学研究科博士課程 鈴木航

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第14回 (2011年6月24日)

「ジェンダー、労働、ケア――フランスの研究動向――」

講師:エレナ・ヒラタさん (フランス国立科学研究センター 研究ディレクター)
司会:木本喜美子さん(一橋大学社会学研究科・教授)、伊藤るりさん(同上)

参加記

第14回のCGraSS公開レクチャーは、エレナ・ヒラタ先生を講師に招いて行われた。ヒラタ先生のご専門は、労働社会学・ジェンダー研究である。パリ・社会学・政治学研究センター内研究チーム「ジェンダー・労働・移動(GTM)」所属であり、現在は国際交流基金フェロー、一橋大学外国人客員研究員として来日され、日本の看護労働について研究されている。今回のレクチャーでは、フランスの労働社会学を拠点としたジェンダー研究の展開について報告していただいた。

フランスにおけるジェンダー研究には、ふたつの分析概念が並存している。ひとつは、1970年代に登場した社会学的概念の「性分業」(la division sexuelle du travail)である。今日では性分業研究は複雑化し、新たな課題も生じている(これが今回のレクチャー後半の課題である。)性分業研究は、労働社会学における労働概念そのものへ問い直しを迫った。一方で、2000年代以降の性分業研究におけるカルチュラル・スタディーズやクィア理論の導入は、ジェンダーの複数性や不安定性への着目を促し、従来の性分業概念の二分法的性格の批判もなされている。

もうひとつの分析概念は、「性の社会関係」(les rapports sociaux de sexe)である。これは英語のgenderに対応する概念ではあるが、あえてフランスではrelationとの違いを意識して使われている。rapportとrelationの区別はフランス語特有のものであり、rapportには「支配・抑圧の関係」という、英語のrelationにはない含意がある。これはマルクス主義の問題とする「階級関係」との係わりの中で、フランスの研究者たちがrapportという語を手放さなかったという背景があり、「性の社会関係」を「階級」や「人種」の問題との重なりにも留意しながら分析しようという試みとも関連している。ここにフランスのジェンダー研究の豊かさがあるようにも感じられた。

レクチャー後半では、フランスでの性分業研究の新たな課題として、グローバリゼーションと性分業、不安定雇用の増加、ケア労働と移民の問題の紹介がなされた。時間の関係上、ケア労働と移民の問題を中心にレクチャーは進行した。

意外なことに、フランスにおけるケア労働への関心の高まりは、2000年代半ば以降であったという。それまでも家事労働やヘルパーなどの職業研究の研究蓄積はあったものの、ケアの視点からの研究はあまりなされていなかった。例えば、ギリガンのIn a Different Voice(邦題『もうひとつの声』)の2008年の改訳は非常に話題になったものの、1986年に訳されたものはあまり注目を集めなかった。また、フランスにおける影響力の大きいケア労働研究として、ジョアン・トロントのMoral Boundaries: A Political Argument for an Ethic of Care(1993=仏訳2009)があげられる。ここでは、ケアは活動であると同時に道徳的・倫理的なものであるとして、「ケアの二重性」への注目がなされている。トロントの議論は、ケアという労働への注目を促し、他の労働とケア労働の比較などの重要な問題提起をもたらした。

ケア労働研究の次なる課題は、性分業や家事労働研究との接続であるという。ケア労働の有償化や市場労働化のような可視的問題と、無償労働としての家事労働のような不可視的問題との関係などにも留意しつつ、ケアをめぐる問題の把握をしていかねばならないとのことだった。

また、ケア労働と移民、国際移動の問題は密接に関わっている。既に知られているように、フランスは移民社会である。女性移民はケアの分野で働こうとする者が多い。ケア労働の多くは低賃金の不安定就労であり、民族間格差の拡大の問題とも通底していよう。さらに、ケア労働のグローバル化は、私的領域や親密圏に属するとされてきた問題を、公的領域の問題として考える契機にもなる。この指摘は、ケア労働の国際的移転にともなう日本的状況を検討するにも非常に参考になるだろう。

 一橋大学大学院社会学研究科博士課程 丹羽宣子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第13回 (2011年2月4日)

「性と愛をめぐる不安と学び―大学生たちの今―」

講師:村瀬幸浩さん(一橋大学・講師)
司会:尾崎正峰さん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

2011年2月4日に、村瀬幸浩先生をお招きして、公開レクチャーシリーズ「性と愛をめぐる不安と学びー大学生たちの今」が開催された。村瀬先生は、高校で教諭勤められた後、一橋大学で20年以上の長きに渡って「ヒューマンセクソロジー」の講座を受け持っておられる。今回はその「ヒューマンセクソロジー」の授業を通し、またその授業内のコメントペーパーやレポートなどから見えてきた、まさに生の「大学生たちの今」について報告をしていただいた。まず、「性」のもつ意味とは、「生殖性」、「快楽性」、「支配性」の三つであり、この三つは極めて近い、紙一重のものであると考えられとのことである。今回の報告では「快楽性」(快楽としての性)について学生に何を考えさせようとしたか、にしぼってお話をいただいた。

そもそも「快楽性」に関しては、性を考える上でも、無視され、軽視され、蔑視されてきたものである。しかし、一方で人間にとって「核」となるものでもある。そこで、性欲を"性的な快楽を求める欲求"と解釈し、性的な快楽を「生理的な快感」と「心理的な快感」に仕分け、マスターベーションとメイクラブの違いは何かを考え、そして「快楽」を性産業やAV任せにしてはいけないとお話された。「快楽」というとき、先に述べたように、ともすれば無視され、蔑視されがちなものである。しかしその結果、男性は思春期に、性産業やAVから性交渉や性の快楽というものを学ぶことになってしまう。これらから快楽を学ぶということは、創作された暴力的な快楽こそが、性の在り方であるということを視聴者に学ばせる。つまり男性には暴力的な態度を教え、強いることとなるし、女性にはその暴力的な態度を受けなくてはならない、ということを規定してしまう、ここからジェンダーバイアスが生み出されているというお話をされた。この性の幻想と現実を区別することが大切であり、そのためにこそ、「快楽」を性産業やAV任せにはしてはいけないと、力強く言及された。

一方で、ふれあう安心感、一体感、快感を生み出す「生」の共有共感こそが大事であるとお話された。からだ(性器をふくむ)や性を卑しむ偏見、誤解、先入観、意識を解き放つことだ大事であるとのことである。ここで、自らの性を卑しみ、忌避する傾向は、学生の反応から見る限りでは、男性の方が強いようであり、それはとても不幸なことであるということを指摘された。また、互いが楽しくなれるための意識と関係性の変革こそが、性の健康であるとされた。例えば、性の快楽といっても、手をつないでいるだけでも幸せである、というのであれば、それはそれで「性」の快感であり、健康であるという旨をお話された。これらのことは、「性的に健康であるとは」という13項目を挙げられている。(個別項目については、紙面の都合上割愛する)

その後、学生のレポート課題をご紹介され、学生の生の声からの報告や、女子大において性に関する授業を行った際に週刊誌に揶揄されたことから、逆にその週刊誌の記事を「君たちの周りは性に関してこんな意識である」という観点から授業の題材にされたという報告もなされた。

本報告を伺った中で最も印象的であったのは、「男性」は特に自らの性に対して卑しい、汚いと思わされている、という点であった。(もちろん男性に限ったことではないというのは当然であるが)このことと、報告や学生のレポートで触れられていた同性愛の問題は、交差する問題であるのかもしれないと感じた。私自身、思春期に自らの性を受け入れられなかった時期があり、性の快楽を感じることは「汚い」ことで、その都度後悔する、ということが往々にしてあったように思う。そうした時、少女漫画やBLによる自己肯定(藤本由香里さんなどが論じておられるが)「君は君のままでいい」というメッセージを繰り返し繰り返し浴び、自己を保っていたことを思い出した。村瀬先生はこの自己肯定のメッセージを、きちんと授業で実践され、学生に発信してきたのであろう。

今回のレクチャーシリーズは、村瀬先生のように、一人一人の様々な性に様々な時、場面で、出会い、向き合い、それぞれの価値観や状況に想像力を働かせ、お互いが豊かに生きられるように努力していきたいと感じた、素晴らしい報告であった。

 一橋大学大学院社会学研究科修士課程 佐藤太郎

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第12回 (2010年10月20日)

「広告とアートからみた近代中国の女子スポーツ」

講師:游鑑明さん(台湾中央研究院近代史研究所研究員・一橋大学外国人客員研究員)
司会:洪郁如さん(一橋大学社会学研究科・准教授)

参加記

新聞と雑誌が民衆生活の一部になった後、計算高い商売人は新聞・雑誌の流通性を見越して、定期刊行物に様々な商品の広告を掲載し、その結果これら設計されたコピーライティングは、商品販売を促進する重要な方法となった。本講演では30年代から50年代にいたるまでの中国における広告、漫画、映画を主たるテクストとし、近代中国が商業広告と視覚媒体などの芸術文化を通して、女子スポーツがいかにして人々の日常生活に浸透したかを明らかにする。一般大衆が見てすぐ理解できるように、広告と視覚芸術は簡潔で分かりやすい方式で表現された。

当時、女子スポーツがイメージとして利用されるには、いくつかのパターンがあった。例えば、女子学生の運動する姿(強国強種)、有名なスポーツ選手(スターによる商品使用)、運動のポーズをとる女性(一種の視覚効果の表現)、女性が自転車にのりスケートする(自由の雰囲気)などが挙げられる。

一方、1930年代には、西洋製作のスポーツ映画が上映されると、中国の映画会社もスポーツ映画に取り組みはじめ、女子スポーツと関係のある様々な映画が製作された。「健康美」の概念が世の主流を占めていた時代にあって、これらの映像は二つの製作様態を呈した。一つには曲線美やセクシーさといった類の極めて性的誘惑の強いことばを使用した広告で、これに対し甚だ不満を感じる観客もいた。もう一つには、スポーツの普遍化と大衆化を重視したもので、褒め称えるに値するとして広く大衆によって肯定的に受け入れられた。このような真逆の観念によって、当時の大衆における受容のあり方がある程度明らかにされた。伝統と新しい価値観のお互いに衝突し妥協する様相は、変動し続ける時代の容貌と見ることができよう。

様々なスポーツ競技が盛んになるに連れ、女子スポーツも徐々に都会の流行文化と化した。女性もスポーツに取り組むようにとの宣伝が政府のプロパガンダや世論によって行われただけでなく、民衆の日常生活と関係する消費文化、芸術文化もまた競ってこの新たな潮流に乗ろうとした。制作者らは女子スポーツと関連する概念や流行語をその製品や作品に巧みに持込み、あらゆるところで消費者と視聴者に女子スポーツを目の当たりにさせた。別の角度から言えば、彼らは大衆の視点から、自らの女子スポーツへの認識に解釈を与えたのであり、それがまさに商業広告、漫画、映画なのである。

ただこれらの映像を見れば見るほど、それにはさまざまな疑問を喚起されられる。例えば、特殊な目的を持った女子スポーツ(武術など)は当時、社会の大衆の普遍的な支持を得られるのか。当時の女性自身はこれらのスポーツ、映像に対してどのような考え方を持っていたのか。その次世代の女性選手の服装、身振りはどこから学んだものなのか、或いは彼女らはそれを他に学んだのではなく、自ら流行のパイオニアたりえたのかどうか。30年代からの女性は社会で大いに活躍し、開放的な存在であったと言うことができ、現代女性とあまり差異がない様子である。この現象は女性スポーツ選手に限られるのか、或いはその時代に社会的に普遍な現象であったのか。もし女性側の角度からその時期の社会規範、中国政府の体育政策などをもう一度考察すれば、新たな視点を構築できるかもしれない。 最後に、これらの資料、映像を見る/読むと、当時女性映像の持つ魅力は男性のそれを遥かに凌ぐものがあると感じられる。特に商業的な活動の下で、女性のイメージは常に利用され、買い物の動機を強化させる効果を持つ点では、現代社会とあまり変わらない。それは30年代ころから本格な都市消費社会が生まれつつあったこととも関わっていようが、こうした女性イメージの消費/被消費概念の背後に隠された、社会学、情報学、心理学などの深い意味については、更なる探求が期待されよう。

一橋大学大学院言語社会研究科博士課程 黄耀進

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CGraSS 公開ワークショップ(2010年7月2日)

「ジェンダー領域で学位論文を書く――『Racing Romance』を語る――」

講師:根本宮美子さん(ウェスターン・ケンタッキー大学社会学部・准教授)
司会:木本喜美子さん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

2010年7月2日、根本宮美子さんを講師に招き、院生を対象とした公開ワークショップが開催された。根本さんは、テキサス大学オースティン校でジェンダーと人種問題に関する博士論文を執筆され、現在ウェスターン・ケンタッキー大学で教鞭を執られている。本ワークショップのテーマは『ジェンダー領域で学位論文を書く』であり、主に、博士論文のテーマ設定と研究をすすめる上で重要と思われることについて、ご自身の経験に基づいて語っていただいた。本ワークショップは、1)米国の大学院博士課程のプロセス、2)テーマ設定に必要な作業、3)博士論文執筆のプロセス、4)博士課程でやるべきこと、という4つのトピックに従って展開された。

はじめに、米国の大学院(社会学)博士課程の仕組みと技術的側面について説明いただいた。日本の博士課程と異なり、調査を開始する前に3年におよぶコースワークを修了させなければならない。コースワークとは、方法論や関連分野の授業の履修である。その後、研究計画書を提出し、面接試験を受ける。(面接試験の際に、食べ物を持参し先生方に振る舞うというユニークな儀礼に関するエピソードが印象的だった。)面接に合格し、IBPというインタビューの内容や倫理性、質問項目に関する承認を経て、はじめて調査にとりかかることができる。コースワーク、研究計画書の作成と提出、面接、IBP、調査、博士論文執筆、最終面接というのが、米国の大学院博士課程の大まかな流れとなっている。根本さんは、コースワークの利点として関連分野の知や様々な分野の専門家から助言を得ることができる点を挙げられた。他方、非常に長い期間(6、7年)を費やさなければならないは難点である。それに伴う金銭問題、解決策としてのリサーチアシスタントやテーチングアシスタントの実情などについても言及された。

博士論文の作成には、非常に多くの時間とエネルギーが費やされる。では、長年向かいあうことになるテーマはどのように設定すべきなのか。まず問うべきは、自分はその分野に関して本当に専門家になりたいのか、そのためにはどのような作業が必要か、という問いだという。テーマ設定に関し根本さんが強調されたのは、研究テーマを客観的にみることである。そこで必要となるのは、先行研究との関連から興味の対象を相対化し、社会科学全体のなかに位置づける作業である。その際、自身の研究の貢献を意識することも大切であるという。同時に、不可欠となるのは、自己の位置の認識と相対化である。すなわち、「~(日本人、女性)という立場である自分」がどのように対象にアプローチするのか。その問題点や将来の可能性を意識することの重要性について強調された。そして、なぜそのテーマに取り組むのかということを研究者としてだけでなく、社会で生きるものとして時代や社会を相対化しながら意識することが重要だという。

つぎに、論文執筆のプロセスに関し、ご自身の経験からお話いただいた。根本さんは、ラディカルフェミニズム、結婚や家族のあり方、当時の時代的背景へのご関心から博士論文のテーマを選定された。『Racing Romance』と題された博士論文では、アジア系移民と白人間の結婚において作用する権力構造をジェンダーと人種の視点から研究された。約1年間の質的調査では、42人にインタビューを実施している。論文は、指導教官との綿密なやりとりのなかで、一章づつ執筆されたという。ここでは紙面上、内容に関する事柄は割愛させていただくが、論文執筆プロセスにおける困難や論文に対する周囲の反応、米国における出版事情、についてもお話いただいた。

最後に、指導教官や大学院の友人、多くの専門家の助言を得ることの重要性について言及された。学会は、他者のサポートを得る場であるだけでなく、共同研究の機会を得る可能性に拓かれている。根本さんは、コミュニュケーションと伝達の場の活用、学会への積極的な参加を奨励された。質疑応答では、根本さんのご研究に関する質問や、IBP、所属学会、出版経緯の詳細に関する質問など様々であった。根本さんは院生からの質問全てに対し、丁寧かつ真摯な態度で応答して下さった。質疑応答のみならず、本ワークショップは全体を通して、講演者と参加者の間に誠実なやりとりが行われていたという印象を受けた。

本ワークショップに参加し、研究過程における自己の位置の認識と相対化する作業、研究意義をディフェンスし続けることの重要性を再確認することができた。一見すると、これらはごく当たり前のことのように聞こえるかもしれない。しかし、将来に対する不安や焦り、苛立ちや孤独感を抱えながら研究生活に挑む院生にとって、「常に(・・)研究意義をディフェンスし続けること」、「何年費やそうと素晴らしいものを創るという意識をもつこと」は決して容易いことではない。そのような意味で本ワークショップは、参加者にとって、自身と研究の関係(研究生活や態度、意識)を再考する良い機会となったであろう。『Racing Romance』の語り――根本さんの博士課程入学から論文の書籍化までのプロセス――を伺ったいま、少なくとも私にとって本著は、ジェンダー研究に貢献する重要文献というだけでなく、「博士論文を書くこと」それ自体に対する希望を感じさせてくれる文献となった。参加した院生の多くは、根本さんの語りに刺激され、自身の研究に再び希望を見出したに違いない。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 深海菊絵

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第11回 (2010年6月18日)

「イタリアのフェミニズム――「家事労働に賃金を」から「プレカリアート」へ」

講師:ジャクリーン・アンドールさん(バース大学ヨーロッパ研究学部上級講師、一橋大学外国人客員研究員)
司会:伊藤るりさん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

今回のCGraSS公開レクチャー・シリーズは、イギリス・バース大学ヨーロッパ研究学部上級講師・一橋大学外国人客員研究員のジャクリーン・アンドールさんをお迎えした。ジャクリーンさんは、今最も注目すべき、若手研究者で、専門はイタリア地域研究とフェミニズム研究である。最近の研究「National Belongings: Hybridity in Italian Colonial and Postcolonial Cultures」などが挙げられる。さらに、イギリス・社会主義フェミニズムの流れを代表する雑誌 「Feminist Review」の編集委員としてもご活躍されている。ヨーロッパ地域の中でも「男女平等」と「規範意識」が絶妙なバランスを保ちながら入り組んでいるイタリアにおいて、フェミニズムの歴史的展開を「移住女性のケア労働」という分析軸を使って報告をされた。

イタリアにおけるフェミニズムの歴史的展開を見ることは、現在ヨーロッパの主要先進諸国が抱える「移住(移動する)女性」における再生産労働問題の核心を問うことを意味している。さらに、「歴史的に誰が再生産労働を担って、この先に誰が担うのか?」に一つの答えを提示している。それはどういうことを意味しているのだろうか。

イタリアフェミニズム勃興時期を1960年とし、1974年を大きな転換期として捉えていた。世界の潮流と同じくしての大きな転換期であるこの年に「主婦労働に賃金を」のスローガンが生まれたことが、その後のイタリアにおける「家事労働」(再生産労働)の概念規定に大きな影響を及ぼしたことが伺える。

現在イタリアは、他のヨーロッパ先進諸国と同じくアフリカ系移民を多数抱えている。その中でも、移民女性たちの多くはイタリア人家庭にて「家事労働(再生産労働)」を担っている。「家事労働」から"解放された"イタリア人女性は、社会の中で才能や努力を発揮することが可能になった。だが、それは問題の解決になったのだろうか?ジャクリーンさんは、「結局、女の中でもより地位の低い女に担い手が代わっただけではないのか?」という鋭くも、現実のやるせなさを、イタリアの現状に合わせて述べていたことが、大変印象的であった。象徴的な出来事として「女性問題を取り扱う会合においても、移住家事・介護労働者とイタリア人女性が同じテーブルで、問題を共有し議論することは少ない」ことをあげていた。この現象は、大変興味深く、再生産労働問題の核心をついているといえる。

大量の不安定就労層(<プレカリアート>)、移住家事・介護労働者の急増という状況のなかで、「女性」というひとつの枠では捉えられない問題の出現でイタリアのフェミニズムは新たな展開を求められていることを強調された。 誰かの解放が誰かの抑圧を前提としているのであれば、それは、本当の解放とは言えないことを改めて考えさせられたレクチャーであった。

一橋大学社会学研究科修士課程 永山聡子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第10回 (2009年12月18日)

「ジェンダーと家族の可能性」

講師:牟田和恵さん(大阪大学大学院人間科学研究科・教授)
司会:木本喜美子さん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

今日それ以外のあり方をイメージできないほど自明に思えたジェンダー家族が、牟田氏の歯切れのいい口調であっという間に解体されていった。清々しさのなかで覚えた一瞬の躊躇は、それがあまりにも「自然な」姿でそこにあることを物語っている。

近代以降の社会では、一対の男女の(性的)結びつきを核とする家族に特権性が付与され、排他的に存在してきた。そこではケアの唯一の責任者とされた女性(妻、母)が私的領域に囲い込まれて孤立し、生涯にわたって男性(夫)に経済的に依存せざるをえない。こうした家族の仕組みを特権化することこそ、男性優位の二元論的ジェンダー秩序をめぐる政治に他ならない。

これを「性的家族」と呼んで、それにかわるケアの単位としての家族のかたちを提示したファインマンを念頭に置きながら、牟田氏は新しい家族のイメージを描く。そこでは、従来の「家族」構成員を含む大人と子どもの小集団が、ケアの単位として社会的に特権化される。大人たちはケアを分担することで経済活動との両立も可能となり、ジェンダー家族では私的に賄われていた「保護」「扶養」が社会的に賄われることで男性の経済的優位は霞む。ケアと依存の悪循環から解放された女性にとって「愛情」によって夫をケアする理由はもはや存在しない。

さらに、「自然」に思えたジェンダー家族の根拠にメスを入れることで、「男女平等主義」の危うさもまた暴かれる。「親性」の男女平等は父親の経済的優位という前提の上に成り立っており、生物学的説明は後付けに過ぎない。「科学」の名を借りて捏造された「父性」は、「自然」という聖域に留まることを許されない。性行為における男女平等のまやかし、男性優位に働く公的年金制度…牟田氏の追究は続いた。非対称な二元論的ジェンダー化に内包された権力の温床としてのジェンダー家族の解体は、生殖技術の進歩とも連動しながらジェンダー/セックス/セクシュアリティの三位一体の体制を突き崩す。そしてケアの絆を中心とした新しい家族が、人と人とのつながりの新たな可能性を開く。

レクチャーを通じて、ケアの家族のイメージに対して抱いた解放感は何であったか。それは、ジェンダー化された存在として生きる呪縛から不完全ではあれ抜け出せる可能性を見出せたことであろう。確かに、多くの個人や社会にとってそれは非現実的であり、「不必要」とされるかもしれない。ジェンダー家族のなかで「満たされている」女性(男性)にどう説得的たりえるのか。しかし、そのことは牟田氏の理論を曇らせるものではない。われわれはジェンダー家族以外の家族のありかたを、既に知ってしまったのである。

一橋大学社会学研究科修士課程 鈴木楓太

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第9回 (2009年11月6日)

「宗教とフェミニズムの不幸な関係?―バックラッシュを超えて―」

講師:川橋範子さん (名古屋工業大学・准教授)
司会:深澤英隆さん (一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

CGraSS公開レクチャーシリーズ第9回「宗教とフェミニズムの不幸な関係?―バックラッシュを超えて―」は、川橋範子さん(名古屋工業大学)を講師にお招きして佐野書院にて行われた。本レクチャーで主なテーマとなったのは、日本のアカデミズムにおける女性の宗教経験に関する研究の問題点、川橋さんも含めた日本の仏教界の女性たちの実践、そしてフェミニスト・リサーチの方法的立場である。順を追って整理していくと以下のようになる。

川橋さんは、女性の宗教経験に関する研究の立ち遅れとその理由を、宗教学とジェンダー・フェミニズム研究の二分野を対象に検討した。まず宗教学に対して、川橋さんは宗教学におけるジェンダー視点の導入への無理解を厳しく批判する。例えばどんなに信仰が厚く修行を積んでいても女性の地位は男性より必然的に低くなるといった、仏教界やキリスト教界などにおける女性の周辺化と不可視化を明るみにするためには、ジェンダーの視座を持つ宗教研究が必要である。にもかかわらず、特に日本の宗教学においては他の学問分野に比べてジェンダー視点の導入が依然として立ち遅れているという。宗教学者は、宗教を文化や歴史を超越した普遍的なものとみなす認識のもと、ジェンダー視点を用いた研究を、客観性や中立性を欠く偏った還元主義的な研究として批判し、ジェンダー視点の導入に強い抵抗を示してきた。しかし川橋さんは、宗教も文化的・歴史的なものであり、神のような絶対的存在の下に教義や儀礼を通じてジェンダー・人種などを作り上げる装置であると述べ、ジェンダー視点の導入のためには、客観性の神話を手放し宗教に対する認識を転換する必要性を説く。

一方ジェンダー・フェミニズム研究においても、宗教への一面的な理解が女性の宗教経験を捉え損ねていると川橋さんは指摘する。宗教をめぐるジェンダー・フェミニズム研究者は、宗教の家父長制的性格を批判してきた。しかしもっぱら宗教がジェンダー差別の現状維持に加担しているとするその論理は、宗教を男性中心主義の砦として切り捨てるのみならず、宗教教団内にいる女性たちをジェンダー差別に無自覚な、自立能力を欠いた存在へと回収してしまう。女性の自己理解を視野に入れ、行為主体としての女性の宗教経験を捉える必要性を川橋さんは主張する。

このようにアカデミズムが「宗教とフェミニズムの不幸な関係」に足を取られている一方、実際の日本の宗教界で現在起こっていることを、川橋さんは自身の学術的・社会的実践でもって次のように説明した。それは、宗教を家父長制として解体するだけでなく、それに新しい意味を付加し再生させるという試みである。このような例としてよく知られているのはフェミニスト神学の実践であるが、日本の仏教界においても、フェミニズムを通して女性を解放し平等へと導く真理のメッセージを宗教の中に再生しようとする女性たちが存在すると、川橋さんは述べる。仏教教団内において、宗教はジェンダー差別的であるという彼女たちの見解は「信仰を理解できていない」として退けられがちで、最近ではバックラッシュも起きている。しかし彼女たちは、フェミニズムを通して再生した宗教が社会の差別性を揺さぶるエネルギーを持ち、精神的な希求を満たすと信じるがゆえに教団内にとどまる。そして『ジェンダーイコールな仏教をめざして』を書きあげるなど、自らの声と意思でもって仏教を公正なものに作り直そうとしているという。禅宗僧侶の妻として禅宗の寺に住む川橋さんもまた、そのような女性の一人として内部からこの運動に携わっている。つまり、自らを含めた仏教界の女性たちについてのフェミニスト・エスノグラフィーを書くことによって、宗教学の男性中心的な語りを解体しつつ、仏教界の女性たちとともに仏教を再創造していこうとしているのだという。

共に宗教を変革しようとしている仏教界の女性たちとの関係について、川橋さんは、自分は「部分的当事者」であり、仏教界の女性たちの「代弁者」では決してないと述べる。このようにネイティブ・アンソロポロジストとしての自らの立ち位置により繊細であろうとする理由として、川橋さんは自身の多文化的背景に言及する。高校時代に渡米し、高等教育もアメリカで受けた(プリンストン大学で宗教学の博士号を取得)川橋さんは、自分が絶えず「東洋の女」として、より力のある存在によっていとも簡単に表象されてきた。そればかりか、「東洋の女」が第一世界のフェミニストたちの解釈を検証したり異議申し立てをしたりしても、多くの場合却下されるだけであったという。

このような自身の「原体験」と学術的・社会的営みをふまえ、川橋さんはフェミニスト人類学をはじめとしたフェミニスト・リサーチの基本理念を次のように明言した。研究者は、アカデミズム内の議論と現代女性の政治社会的苦闘の両方に応答責任があるということ。他者を一方的にまなざすことに安住することなく、他者からたえず見つめ返されるということを自覚すること。研究者が排除されている人々を代弁するのではなく、その人たちが語れる場を広げようと共同すること。そして常に自分がどこに立ち誰に向かって発話しているのかを問いかけていくこと、である。

以上が川橋さんの主なレクチャー内容である。会場からは、行為主体性を過度に強調して女性の宗教経験を論じることが孕む問題や、解放を必要とする宗教のあり方それ自体に内在する問題などが提起された。私自身は、川橋さんのレクチャーの中でも、「自らの声と意思でもって仏教を公正なものに作り直そう」とする川橋さんや仏教界の女性たちの営みが、フェミニズムをよりどころとしながらも、ジェンダー・フェミニズム研究や宗教学などアカデミズムの知をも問い返そうとする点が印象的だった。フェミニズムがアカデミズムの垣根を越えるものであり続けること、より多くの女性や男性、マイノリティによって絶えず鍛え直されていくことの重要性を改めて認識した。宗教を変えていこうとする女性たちの向こうには、そのように声をあげることなしに宗教界を生きる女性やマイノリティがいる。宗教界には属さなくとも、女性も男性もマイノリティも絶えず宗教と関わりあいながら日常生活を営んでいる。「宗教とフェミニズムの不幸な関係」の罠から抜け出るためにも、こうした人々の存在を常に視野に入れながら川橋さんや仏教界の女性たちの実践に学んでいきたいと思った。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 浦田三紗子

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第8回 (2009年7月17日)

「戦争とジェンダー ~フェミニストによる根源的問い直し」

講師:シンシア・コウバーンさん Prof. Cynthia Cockburn(英国 ロンドン・シティユニバーシティ・客員教授)
司会:足羽與志子さん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

2009年7月17日、第8回目のCGraSS公開レクチャーシリーズとしてロンドン・シティ大学客員教授のシンシア・コウバーン氏による講演会『戦争とジェンダー フェミニストによる根源的問い直し』が開催された。労働過程のジェンダー分析の第一人者として知られるコウバーン氏は、60歳の誕生日を機に、その後の人生をフェミニスト平和運動と軍事化のジェンダー分析に捧げることを決めたそうだ。本講演もパレスチナから東アジア、コロンビアまで世界12カ国/地域?日本も含めそのどれもが軍事化の問題に直面している?でのフェミニスト平和運動へのアクション・リサーチに基づいている 。

本講演でのコウバーン氏の主張は、「家父長制的なジェンダー関係は戦争と軍事化の「根源的要因(root cause)」であり、それらを世代から世代へと継続させていく動員力である、そしてそうであるがゆえに、平和を追求するプロジェクトは既存のジェンダー関係の改革を志向する必要がある」とまとめられる。「根源的要因」という用語はブライアン・フォガーティの戦争の原因分類に基づいている 。フォガーティは戦争には、直接的原因(経済的な動機など)、先行的原因(ナショナリズムや自国の安全保障問題など)とともにそれらを支える根源的要因があるとする。戦争は、石油や国家の自治権の「ために」戦われるようなかたちではジェンダー問題の「ために」戦われることはない。しかしながら、家父長制は社会を戦争に向かわせ、軍事化を促進し、平和の持続を難しくするという意味で、戦争と軍事化の根源的要因であるとコウバーン氏は主張する。

コウバーン氏は、このことを自らが出会ったフェミニストの反軍事主義/反戦活動家たちから学んだという。コロンビアからイタリアまで、セルビアからインドまで、彼女が各地で出会った女性たちは平和主義とともにフェミニズムを自らの活動の根拠としており、自分たちの生きるシステムを「家父長制」と呼んでいた。そして、そのような軍事化の暴力と家父長制の暴力に脅かされている女性たちの立場(スタンドポイント)に立って眺めるとき、戦争は連続的な軍事化という姿をあわらにする。各地に広がるフェミニストたちは、他の地域の仲間たちと問題を共有し、自らが取り組むものが突発的な戦闘行為などではなく、連続的な軍事化であることを認識しているのだ。

この連続性こそが家父長制的ジェンダー関係が戦争の根源的要因となる理由である。コウバーン氏が出会った女性たちは、戦時にもいわゆる平時にも似たような形で男性による強制と暴力を経験していると述べる。家父長制は、男性性と権威、強制、暴力を結びつけ、女性性と男根中心的な関係を築く。そしてそのような結びつきは、軍事化の過程においてこそ隆盛する。そして、このことは男性性が戦争の前準備する(pre-dispose)機能を果たすだけではなく、男性性の達成のためにこそ軍事化が求められることを意味するとコウバーン氏は述べる。そして、そのように家父長制と軍事化が根源的に結びついているがゆえに、平和を追求するアジェンダにはジェンダー関係、特に男性性の変革が書き込まれる必要があると述べ、講演は終えられた。

以上の家父長制と軍事化の根源的な結びつきについてのコウバーン氏の議論は大変に刺激的なものであった。特に、主流派の戦争研究者たちが、戦争を「別の手段でする政治」であり、むき出しの暴力などではなく、制度化されたものとすることで、戦時を平時の延長線上におくこととちょうどパラレルに、女性たちが、戦時性暴力といわゆる平時での暴力を結びつけているという指摘には深く説得された。しかしながら、フロアからコウバーン氏のいう家父長制概念(氏は暴力を「戦場から町へ、街頭から寝室へ」と連続しうるものとして捉えている)が近年のフェミニストが問題としてきた差異を矮小化する危険性があるのではないか、という指摘もなされた。コウバーン氏からはいわゆる交差性(インターセクショナリティ)や男性性の多様性といった点についての言及もあったが、個人的には、家父長制と軍事化を(本質的にとは言わないまでも)根源的な結びつきに注目するがあまり、男性性や男性主体のそれこそ根源的な脆弱性と他者依存性を見失わないようにしたいとも考えた。そのような性質と暴力が男らしさの名の下に召還されることにもまた結びつきがあるように思うからである。軍事化とジェンダー暴力の連続性を見据えつつも、その具体的なプロセスの分析においては繊細な吟味が求められていると言えよう。

追記
講演後にはコウバーン氏と参加者を交えての懇親会が開催された。コウバーン氏は、私を含め学生のぶしつけな質問に、おそらく世界各地の紛争地域でそうであったように、真剣に向き合い、そして鋭い質問を返してくださった。一橋大学の教員と学生以外の多種多様な参加者を迎えることができたのもそのような氏のパーソナリティと研究スタイルに由来するだろうと感じた。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 川口遼

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第7回 (2009年4月28日)

「ジェンダーと女性心理学の功績と課題 ~今、何に注目をすべきか~」

講師:キャロル・エンズさん Carolyn Zerbe Enns Ph.D.(米国 コーネル大学・教授)
司会:柘植道子さん(一橋大学法学研究科・留学生専門教育教員、臨床心理士)

参加記

社会をある一定の方向に作り上げてしまうのが科学であるならば、それを変革するのもまた科学である。そんなことを考えさせる講演だった。

「心理学は、女性とは本当は何なのかについて言うことができない」。会の冒頭を、エンズ氏は1968年のNaomi Weissteinの言葉を紹介することから始めた。心理学は当時、男性を「標準」なものとする一方、女性を劣ったものとして扱い、その理由を生物学的な説明に求めていた。そうして「科学性」を通過した見解は、同時に男女の様々な差別を強化する一翼を担っていただろう。

Weissteinの批判から40年が経ち、心理学は大きく変わったとエンズ氏は説明する。初期のフェミニズム心理学は、男女に能力の違いがあるという「常識」に、調査を通じて異を唱えることに力を注いできた。けれども、やがて男女の能力そのものではなく、男女の置かれる社会的文脈の違い、そしてその文脈に添った形でのステレオタイプの内面化の問題を探ることの方の重要性が次第に認識されるようになってゆく。その様なステレオタイプの内面化こそが、実験の結果として得られる個々人の能力の違いをもたらすからだ。

例えば、ある実験の被験者に対して、そのテストは(a)ジェンダーによる差異はないという場合と、(b)ジェンダー差が確認されている、という場合とでは成績は異なるとエンズ氏は言う。実験の手続きのちょっとした差異で、「男女の能力には差がある」という「科学的証拠」が生まれてしまったり、正反対の知見が得られたりするのだ。

フェミニスト心理学のこうした努力により、こんにちフェミニストだけでなく心理学者一般に、心理学者はジェンダーバイアスや社会的文脈に意識的であるべきだと考えられるようになっている。これらの知見の成果は、2007年に発表された“Guidelines of Psychological Practice with Girls and Women”(「少女・女性に関する心理学的実践のためのガイドライン」)にも表わされている。

科学は社会へ知識を流通させるものだが、生み出される過程がどのようなものなのかによって、社会で共有される知識もまったく異なるものになる。そして、社会にどのような知識が流通するのかによって、社会のさまざまな領域での行為も変化していく。フェミニスト心理学の成果は、その意味で、間違いなく社会を変えていったのだろう。

ところで、私たちは一般に、科学者は自身の研究の成果によって社会を変えてゆくということのみを想像してしまいがちだが、先に挙げたガイドラインでは科学者個々人が社会を変革しようと実際に行動することが奨励されているのが興味深い。いったい具体的にどのような行動が想定されているのか聞いてみると、エンズ氏の答えは、「リサーチをする」ことに加え、「ボランティアをしたり、政治家に手紙を書いて意見を表明したりすること」だそうだ。

一橋大学大学院社会学研究科修士課程 佐藤圭一

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第6回 (2009年1月30日)

「台湾女性の相続権をめぐるジェンダー・ポリティクス」

講師:陳昭如さん(国立台湾大学法律学院・助理教授)
司会:王雲海さん(一橋大学法学研究科・教授)

参加記

今回の報告の概要について述べる前に,まずは報告者である陳昭如氏の経歴について簡単に紹介しておこう。陳氏は国立台湾大学の法律学院を卒業後、同大学の大学院へと進学、博士課程在学中にアメリカのミシガン大学ロー・スクールへと留学し、当地でフェミニズム法理論などの研究で日本でも令名の高いキャサリン・マッキノン氏の指導の下で法学博士号を取得した後に台湾へと帰国し、現在では国立台湾大学法律学系の助理教授を務めている。専門は台湾およびアメリカ合衆国の法制史やフェミニズム法理論、ポストコロニアル法学である。

本報告は、現代の台湾における相続制度をめぐるジェンダー・バイアスの存在を析出した上で、そうしたジェンダー秩序の下での女たちの抵抗の姿を描き出そうとしたものだといえる。報告の冒頭では、最近、台湾のメディアを賑わせた事件の紹介が行われている。それは亡くなった夫=父の遺産相続をめぐって、六人の娘たちが妻=母と二人の息子=兄弟を刑事告訴したという事件であるが、この事件の背景には,相続法上では男女同権が保障されているのにもかかわらず、女子には相続放棄を迫るという社会的抑圧の存在がある。

陳氏はこの抑圧の問題を論じるにあたって、かのじょが「二元論的な認識構造」と呼ぶカテゴリー化の具体的な内容について、「相続を放棄する娘―親孝行・無私―父権的伝統下における犠牲者―遅れた社会・法制度 対 遺産争いをする娘―親不孝・貪欲―父権制に挑戦する行動者―進歩した法制度」と定式化した上で、この定式化を乗り越えるための理論的な試みを行っている。その成果についての詳細な報告は、紙幅の都合で省略せざるをえないが、重要なことは以下の諸点にまとめられよう。

一つめは他家に嫁いだ娘たちをよそ者とみなすという、日本でもみられる典型的で排除的な文化的風習があること。二つめは娘による相続放棄を家族的共同体に対する忠誠心の表れとみなす考え方が根強く残っているということ。三つめは大部分の妻=娘が親の介護をするという社会的実態があるのにもかかわらず、夫=息子が介護の中心的な担い手となるのであり、したがって、遺産はそうした扶養の義務を担っている息子だけに相続されるべきだ、という考え方もなかなか変わらないということ。四つめは同じ女性ジェンダーに属する者でありながら、母と娘たちとの間でも厄介な対立がみられるが、アメリカの人類学者マーガレット・ヴォルフの「子宮家族」という概念を用いることにより、母による息子を通じた家族の支配という要因の存在を明らかにでき、その結果、こうした対立が生じる理由を説明しうるのだということ。そして最後は、法制度上の「平等」が達成されたはずなのにもかかわらず、社会的な不平等がなおも残存しているのはなぜなのか、という批判的法理論上では馴染み深い問題の存在だけではなく、一見支配的にみえる「構造」への服従を強いられているはずの被支配者たち(今回の報告では女性)がどのようにしてそれに抵抗しているのか、ということである。

残念ながら、当日は時間の関係上,最後の点について詳細に論じられることはなかったが、今後も陳氏の手によってさらに継続されるであろう精緻な判例分析と、フェミニズムなどの社会理論との接合により、われわれが法というものに対して抱いている固定的な観念から解放され、ひいては社会変革への途を切り拓くための契機が与えられることを期待したい。なぜなら、「フェミニズムはみんなのもの」(ベル・フックス)というように、女たちの闘いの成果はわたしたちみなが享受できるはずのものなのだから。

北海道大学大学院法学研究科博士課程 綾部六郎

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第5回 (2008年12月19日)

「“ホモエロティシズム”とポストコロニアル沖縄の関係」

講師:新城郁夫さん(琉球大学法文学部・准教授)
司会:鵜飼哲さん(一橋大学言語社会研究科・教授)

参加記

第5回の公開レクチャーは琉球大学の新城郁夫氏を講師に招いて行われた。新城氏は、現代沖縄文学を論じさせたら右に出るものはない批評家であり、研究者である。その鋭く豊かなテキストの読解によって、沖縄文学の読解可能性は、その都度、更新されてきた。具体的には沖縄文学を出発点として現代思想との豊かな対話をしつつ、他の研究領域との橋を架ける仕事をされてきた。とくにジェンダーとセクシュアリティの問題系は初期の仕事から問われ続けており、豊かな関係がきり開かれてきたといえるだろう。今回の報告はその延長にある。以下の参加記では新城氏の報告の要旨を中心にして、最後にごく簡単な感想を述べたい。

まず新城氏は問題意識として、テレビや映画など沖縄のメディア表象にはらまれている政治性への言及からはじめた。「沖縄」という表象は、さまざまなメディアによって女性ジェンダー化されて語られることがある。この語りの欲望の根底には集団自決や米軍基地の問題ともかかわる政治的暴力が潜在していることが指摘でき、現在の「沖縄」が置かれているポストコロニアルな政治状況を透かして読むことができる。そして、その有効性は認めなければならないとも語った。

だが他方で、この表象と政治の問題は、女性ジェンダーの動員だけではとらえきれないのではないのか、沖縄の女性ジェンダー化は、むしろ歴史的なスパンをとったとき、より大きくは男性間の欲望の交換、つまり、ホモソーシャルな権力関係を作動させるホモエロティシズムの問題系の内部にあるのではないか、と新城氏は指摘する。こうした観点から、戦後の沖縄を代表する小説家である大城立裕の自伝的小説『朝、上海に立ちつくす 小説「東亜同文書院」』の読解が試みられる。

「東亜同文書院」は1944年から敗戦にかけて大城が学んだ実際に存在した大学である。小説では主人公の「沖縄人・知名」、学友である「朝鮮人・金井」「台湾人・梁」「日本人・織田」の民族的な葛藤が、「沖縄人女性・新垣幸子」「中国人女性・范淑英」との関係の中で描かれる。しかし奇妙なのは、男性主体間の精液を授受するという「夢」が執拗なまでに反復されていることである。もちろん、この「夢」を「沖縄人・知名」の青年期特有のアイデンティティの不安と彼の民族的なマイノリティとしての葛藤から生じたものとして考えることは十分可能である。実際に、この小説はそのように論じられてきたし、それは作者が述べてきたことでもある。

しかし、新城氏はこれを作者の意図とは、「さかさまに」読むことを試みたいとする。この「夢」を、精神分析的にそこに「抑圧されたもの」を読んでいくのである。そこから注目されるのは、第二次世界大戦中の「大東亜」のビジョンが「同文」のカテゴリーで結び付けられた「植民地」の上海で見られた「夢」であるということだ。このとき、男性間の精液の授受という「夢」に抑圧された「大東亜」の理念の象徴としての「血盟の成立」という潜在的な主題系が浮かび上がってくる。

実際の小説では、人物配置において「血盟の中心」に「日本人・織田」が存在しており、また、「知名」は無意識的なレヴェルで「日本人」である「織田」との近さを何よりも気にしていることがわかる。そして、実は「知名」の「夢」の中には「織田」が隣に控えており、「知名」は彼をこそ欲望の宛先としていると読めるのである。そして同時にこの「中心」との近さによって生じる「序列化」の中で、「新垣幸子」「范淑英」など女性の登場人物たちは周縁化されてもいる。新城氏は、ここに明瞭な形でホモエロティシズムと結びついた男性間でなされるホモポリティクスの構図を見ることができるとする。 
さらに興味深いことに敗戦を迎えた「知名」は、その動揺の最中に足を踏み入れた「上海のフランス租界」において「織田」とは違う人物との同性愛セックスを行い、そのことを恥じ、同性愛的欲望を代理的に否認する。このエピソードは以上の脈絡でとらえたときに、単に「若気の至り」といった言葉ではすまない問題が背後にあることがわかる。この恥辱化のメカニズムによってこそホモエロティシズムは否認され、それと軌を一つにして「大東亜」というホモポリティクスの理念が否認されるのである。新城氏は、こうした形で小説に見られるホモエロティクスの動員と否認において「大東亜」という歴史的なビジョンの忘却がなされているのではないか、と述べ、この読解を起点に「大東亜」の歴史の再考をしたい、それを夢のように考えているのです、と報告を締めくくった。

続いて質疑応答がなされた。きわめて豊かな質問のやり取りが50分近くなされていたが、発表と同程度に内容が豊かであったため、残念ながらこの参加記では割愛させていただく。しかし、小説の「夢」の読解を通じた新城氏の、別の意味で「夢」に満ちた読解は、ジェンダーの領域に限らず、多分野の研究者と学生の発言を喚起し、その場が熱気に包まれていたことは付け加えておく必要がある。おそらく分野は違う参加者のそれぞれの思考の間に橋が架けられ、さらに「夢」を見させる程に、充実した報告だったからだろう。また、おそらくそれは未来になんらかの応答という形で実を結ぶ「夢」でもあるに違いない。

一橋大学大学院言語社会研究科修士課程 小田剛

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第4回 (2008年11月29日)

「フェミニズムとリベラリズムの拮抗――新しい<家族>の可能性」

講師:岡野八代さん(立命館大学法学部・教授)
司会:平子友長さん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

公開レクチャー・シリーズ第4回は、岡野八代さん(立命館大学)を講師にお迎えして、2008年11月28日に行われた。報告の題目は「政治『学』批判としてのフェミニズム―フェミニズム理論からの社会構想の可能性を問う」、報告・質疑応答は2時間半におよび、活発な議論が交わされる有意義な会となった。全体のテーマとされたのは、近代的な主体に対する批判、ケアの倫理をめぐる考察、社会的なるものの理論化、家族や社会の再構想などである。これらは社会科学の複数の分野でいま注目されている問題群であると思われるが、岡野さんはご専門の政治思想の立場からこれらの問題にアプローチされた。また、これまでに発表された論文や著書、関心をお持ちの運動などへの言及から、研究者としての岡野さんの思想の軌跡のようなものをかいま見ることができたのは、レクチャー・シリーズならではの貴重な機会であった(本稿内の「 」は報告レジュメおよび口頭での発表からの引用、『 』はレジュメ内で「 」に括られていた部分、〈家族〉の〈 〉はレジュメに従うものである)。

報告は岡野さんの近年の研究の大きな構想を支える三つのステップに沿って進められた――1)伝統的なリベラリズムにおける理想の市民像の批判、2)家族とケアの倫理への注目、3)フェミニズム理論からの非‐暴力的で自由な社会構想へ、である。なかでも中心に据えられたのは、2)の家族とケアの倫理をめぐる理論展開であった。

1)伝統的なリベラリズムは、自立した「自由な主体」や「責任ある市民」を前提にしており、また、個人の自由や愛の領域として私的・家内的な領域(家族や家庭)を囲い込んできた。この枠組みに対して岡野さんは、市民や国民への包摂過程や人びとの主体化の過程においてこそ、個々の生きられた経験や多様な生の構想が剥ぎ落とされる暴力がはたらくのではないかと疑問を呈し、さらに、リベラリズムが、(子どもを含む)依存する他者というものと、その他者への応答責任・ケアについてはほとんど語ってこなかったことを指摘された――ケアは政治的な領域の外部にあるものとされ、歴史的に周辺化されて「ジェンダー支配」のみなもとになってきたのである。

2)そこで岡野さんが注目するのは、家族の機能――多様な人びとや異なる時間性を「出会わせる場を提供する」機能や、「社会的弱者、公的な存在としては認められない者たちのケア」の機能――の再考である。それによれば、家に暮らすことは、ケアされる者にとって自分を受容され解放される場所を得ることであり、ケアする者にとっては、(生まれてくる子どものように)予め知ることのできない「『非決定の他者』」を受容し、そのニーズに応答して保護する場を作り続けることである。したがってこのような「依存と相互承認」による他者同士の平和な共存が日々実践される〈家族〉こそ、まさに「社会的な」場なのである。少し言い方を変えるならば、家族とケアの場は、ケアする者とされる者との多面的な非対称関係ゆえに、愛や共感だけでなく暴力の可能性をも潜めさせている。しかし、だからこそ倫理と責任が要請され、支配的にも暴力的にもならないかたちでの対話や同居や接触が重ねられ得る場なのであり、そのような〈家族〉は「公共のもの」・「開かれたもの」・「社会的なもの」として示されるのである。

3)「なぜ〈家族〉から出発することが国家権力に対抗することになるのか」。これは報告の最後に、今後の展開として改めて述べられた問いである。そこで示唆されたのは、開かれた家族を社会的なものとして捉え直す試みが、「国力や国史、国益の人質となってきた『家族』を取り戻す」ことにつながるということ、また、ケアの倫理が含意する非暴力と自由で平等な共存とは、国家の戦争や武力衝突を回避することや、暴力が起こってしまった後の傷ついた人びとへのケアへとつなげていくべきものであるということであった。

続く質疑応答は、より大きな・異なる視座から報告の位置づけが確認される運びになった。このことは、岡野さんの取り組まれる家族とケアの理論化の重要性を示していたと思われる。主要な話題を三つ挙げると、第一には、岡野さんの報告も含むケアをめぐる今日的な議論と、1970年代以降のフェミニズム理論とのより詳細な関係である(たとえばなぜ「家族」なのか、母性や母子関係をいかに再考するのかといった問い)。第二に、今日のグローバル化やケアをめぐる社会の動きを考慮するものである(たとえば、トランスナショナルな契約も含めケア労働の女性化や人種化が進むとともに、家庭や病院などケアの現場での暴力が止まないなかで、ケアの価値や愛といった論理を国家権力の側も用いていることへの懸念)。第三には、ホームとケアの再考における愛や希望の語り直し・非暴力の試み・倫理の要請などに関して、学問という領域がどこまでアプローチできるのかという問いである。

これらに対する岡野さんの回答では、母性や母なるものに関して、養育者という役割や家事の価値の読み替え・自然と「本質主義」とをめぐる議論の見直しの必要などが指摘され、〈家族〉という言葉の意味がさらに説明された――それは、ともに生活する人びと・住居・家事から、人びとの想いや心のなかにもある故郷、人びとと生活の記憶や語りなどを広く含意する「ホーム」であり、物質的なものと抽象的なものをつなぎ、横の(同時代の)つながりと縦のつながり(世代や歴史)の両方に開かれたものである。そのような〈家族〉の語にこめられているのは、これまで価値を貶められてきた(あえて言えば女性化されてきた)領域や言説化されずにきたものの回復であり、支配的なものを批判するとともに異なる視座をも提示するフェミニズムの創造的な可能性であるという(回答のなかで、ケアギバーの社会的地位の向上および手厚い経済的保障の必要性への言及がなされたが、これはフェミニズムの社会構想において国家との交渉ごとに含まれると言えるだろう)。

国籍や生活の場所やこころの在り処などのいくつものホーム。生物学的なつながりや血縁によるとは限らず、また、セクシュアリティやロマンスが必須なわけでもなく、友愛や意思や必要、偶然などによっても結ばれる人びとの関係性。そこで未知なる他者を受け容れること、同化や完全な理解を自明視しないこと、非対称であっても支配的でなく暴力的でもない関係をはぐくむこと。岡野さんが家族とケアという場で議論されたこれらの問題は、たとえば国民と移民と難民の関係や、(代理母を含む)母の身体における母と子の関係などにも共有され得ると思われる(国家なるものの再構想や語り直し、ひととその身体や生の捉え直しである)。また、これらの背景には、まさにこれまでフェミニズム理論が批判してきた近代的な主体や、家父長制的な家族とジェンダーの役割分業などを、具体的な歴史として可能にしてきた社会的・経済的な条件が変容しつつあるということがある。そこでは従来のジェンダーや人種、階級といったものもまたトランスナショナルに、そして植民地と帝国の複数の歴史を呼び起こしながらさらに組み替えられてきている。ホームとケアをめぐる議論を重ねていくことには、さまざまなフェミニズムの歴史化や継承の方法から学問的研究の自由や責任というものまでふかく関わっているだろう。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 松村美穂

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第3回 (2008年6月13日)

「領域分離とジェンダー史研究」

講師:姫岡とし子さん(筑波大学人文社会科学研究科・教授)
司会:坂元ひろ子さん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

本講演では「領域分離」というキーワードをもとに、ジェンダーの壁を越えるべきという問題提起がなされた。姫岡氏はドイツを中心とするジェンダー史研究家であり、『ジェンダー化する社会-労働とアイデンティティの日独比較史』(2004)では、労働の場でジェンダーの差異化と領域分離が構築される姿を日独比較のかたちで提示している。こうした内容に加え、本講演ではジェンダーを基礎に、ネイションのなかに女性の存在意義を求める右派運動について語られた。

まずは姫岡氏がこうした問題意識にたどりつくまでの経験談から講演が始まった。姫岡氏が研究を始めたのはフェミニズム運動が盛んな頃である。氏は市民的女性運動穏健派と称されたボイマーに注目し、ドイツではじめての内務参事官というエリートである彼女がなぜ「女性の使命は母性」と主張したのか、母性にこめられた意味を考え始める。そこで領域分離を基礎に、女性の社会進出、女性にしか出来ない仕事へ焦点が当てられているのではないかと考えたという。

そこで氏は女性労働を論点とし、就業労働だけを切り離さず私領域も労働に関連することの重要性を感じる。また女性労働を男性中心の労働史の補完とするのではなく、男性=一般/女性=特殊という一般史の書き直しの必要性に取り組むようになる。たとえば、同じ労働を異なるジェンダーが担うとき、その労働にはどのような意味が付与されるのか。その疑問にこたえるため、氏は繊維工業織物業に関してのドイツ・日本の比較に着手した。

世紀転換期ドイツの繊維工業織物業は男性職工が手織、技能、職人、有資格者として扱われているのに対し、女工は逆に力繊維、機械織り、補助労働力、無資格として存在した。いっぽう、同時期の日本においてはやや趣が異なる。日本の繊維工業織物業では男性が手工業職人、技巧、強健で親方とされていたのが、女性の場合は一家の嫁が担う未発達な技術者であり、微弱な労働力としてとらえられていた。氏はここに労働のジェンダー化を発見し、本質的ととらえられることもある労働の中のジェンダーが、地域によって異なることを指摘した。

こうした労働のジェンダー化をさらに深く分析するため、氏は近代的な意味での女性労働者/男性労働者の差を明確にする女性保護法の制定に注目する。女性のみを保護し、女性=脆弱、意志薄弱、家庭中心、家政教育が本分だとする女性保護法は、男女両者の差異化をはかり強化するものである。こうした差異化により、行政や雇用者から女性は二流の労働者とみなされてゆく。氏はこれらの分析をとおし、しだいに言語を現実の反映ではなく、現実を作り出すものととらえるようになったという。つまり歴史資料を実体の反映としてではなく、テクストとして読む必要があるということだ。かつ実態調査においてもどのような問題設定によって調査をするのか「現実」の構築を考えるようになったのである。

こうした研究成果を出したのち、2000年以降はバックラッシュを契機として、姫岡氏はナショナリズムとジェンダーにも関心を抱き始める。姫岡氏はネイションの中でジェンダーによる居場所の違いと相互補完が行われていると指摘する。その例として、時代はさかのぼるが、ナポレオン戦争期のドイツにおけるジェンダーによる労働分担が補完的に機能した例を挙げた。そこでは女性がネイションのために社会活動を行うことが許され始め、領域分離にのっとった活動が行われた。男性は破壊、殺戮、先頭、征服、国家形成として語られ、女性は再建、治療、出産、維持、民族形成を担った。そして男女の愛と補完性が、ネイションの強化のためにいかに重要かが強調された。ここではまさにジェンダーの構築・強化は言説によってもたらされている。この例を見ても、必ずしも一定ではない体験・行為から生まれるジェンダーを考え、領域分離というキーワードをもとにジェンダーの壁を越える必要性をさらに感じるようになったという。

これら特筆すべき研究成果に留まらず、現在の問題意識につながるご自身の大学院生時代のご経験もふまえ、本講演ではより長いスパンでの問題意識が語られた。研究成果だけではなく、氏の研究生活の中で通底する問題意識や、大学院生時代の着眼点についても聞くことができたことは参加者にとっては非常に有益な機会であった。姫岡氏の「労働のジェンダー化」―世紀転換期のドイツでは繊維業の職工は主に男性が担い手であり、専門職とみなされていた―という指摘は、現在の女性労働を考える上でも非常に貴重な発見であるといえよう。歴史研究の中で様々な分野での「ジェンダー化」の過程を明らかにする試みは、固定的なジェンダー規範を覆すものとなる。姫岡氏の研究に学び、歴史研究の分野でジェンダーそのものの再考を行うことは、ジェンダー研究の深化に寄与するのではないだろうか。

一橋大学大学院社会学研究科博士課程 黄綿史

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第2回 (2008年1月25日)

「フィールドワークの『ジェンダー化』をめぐって-ジェンダー人類学の視点から」

講師:中谷文美さん(岡山大学社会文化科学研究科・准教授)
司会:石井美保さん(一橋大学社会学研究科・専任講師)

参加記

本講演において中谷文美先生が問題にするのは、フィールドワークの「ジェンダー化」である。フィールドワークの実践の中で、「ジェンダー」という差異が重要であるのは何故だろうか。中谷先生は、本講演において、文化人類学における研究者と対象者との関係性や他者概念を整理しながら、「ジェンダー」という差異を見つめることによって、フィールドワークやエスノグラフィーを再考する。

中谷先生は、フィールドワークの実践において、「ジェンダー」の視点は、「ただのトピック」であるのかという、根元的な問題から本講演をはじめる。中谷先生が問題にするのは、「調査者は誰であるのか、そうして、フィールドにおいて、どんな人であると受け止められているのか」という点である。調査者が男性なのか女性なのかという区別だけではなく、年齢やセクシュアリティ、階級や国籍など、調査者が「誰」であるのかということと、「ジェンダー」というトピックを扱うことは切り離して考えることはできないと述べる。

「ジェンダー」という視点は、フィールドワーカーがインフォーマントとの関係を築く上で重要であり、データの性質やエスノグラフィーにすら影響を与える。調査者は、自由にジェンダーを選べず、当該社会のコードに沿ってジェンダーを規定されている。しかし、ジェンダーは固定的なものではなく、フィールドでどのように振る舞うかによって、対象者との関係性を規定していくような実践なのである。

では、フィールドワークを重ねて描くエスノグラフィーに、ジェンダーという差異はどのように影響するのだろうか。

フェミニスト・エスノグラィーは、「一方的・搾取的な関係ではなく、対等で相互信頼に基づいた互恵的な関係を重視する調査と記述」をすることを目指しているという。しかし、女性だから男性に見えないものを描きうるというような、本質的な属性に還元してフェミニスト・エスノグラフィーを定義することは、ともすれば、女性を本質化し、女性の内部の差異を消し去ることに繋がるだろう。中谷先生はそれに対して、チャンドラ・モハンティの、「コモン・ディファレンス(共通の差異)」という概念を参照し、フェミニスト・エスノグラフィーは、単に女性同士の感情移入によって成り立たつものではなく、問う必要があるのは、何が共通していて、何が違っているのかであり、違いを見えなくしているのは何か、それでも共通していることは何かという問いであると述べる。

中谷先生が繰り返すのは、自己と他者の関係性をどのように捉えるかのという関係性への問いであるといえるだろう。女性や男性といった抽象的な概念ではなく、個別具体的な、顔を持った調査者と対象者とが出会うフィールドにおいて、絶えず関係性を切り結びながら調査し描くエスノグラフィーは、ジェンダーという差異をなおざりにしてはおけないような繊細さを必要とするだろう。その際、中谷先生は、フェミニスト・エスノグラフィーへの疑義として二人の研究者を取り上げる。ジュディス・ステイシーは、「研究者と対象者との間の親密性によって対象者を搾取」することは「二重の背信行為」であると述べ、L.アブー=ルゴドは、「自己と他者の連続性を強調することで相互理解を追求するべきではない」と述べる。二人の研究者は、研究者と対象者の差異よりも同質性を重視する方法への疑義を突きつけているのである。しかし、エンパワーメントを重視するE,エンスリンの実践に触れ、調査地の人々に対する政治的な応答責任を考慮しながらフェミニスト・エスノグラフィーを実践することについても触れる。

これまでの文化人類学研究が、男性偏向であり、男性中心的な産物であったならば、「中立な視点」は、もしかしたら、「男性の視点」の別名であるかもしれない。ジェンダー人類学が思い描くのは、「女性の視点」を取り入れることのみならず、漠然とした男性/女性といった固定的なジェンダーを再度、フィールドワークとエスノグラフィーの実践から問うてゆくような試みだろう。それならば、ジェンダー人類学の試みは、逆説的ではあるが、差異の総体として、フィールドを包括的に理解するための足がかりになるのではないだろうか。

早稲田大学大学院文学研究科・修士課程 岩川大祐

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CGraSS 公開レクチャー・シリーズ 第1回 (2007年11月28日)

「オーラル・ヒストリーとジェンダー研究-イギリスにおけるオーラル・ヒストリーの展開を振り返って」

講師:酒井順子さん(成蹊大学ほか非常勤講師)
司会:濱谷正晴さん(一橋大学社会学研究科・教授)

参加記

CGraSSの第一回公開レクチャー・シリーズ「オーラル・ヒストリーとジェンダー研究-イギリスにおけるオーラル・ヒストリーの展開を振り返って」は、ポール・トンプソン著『記憶から歴史へ オーラル・ヒストリーの世界』の訳者で、オーラル・ヒストリアンの酒井順子先生をお招きしました。ポール・トンプソンの本は、濱谷先生の大学院ゼミで最初にテキストとして使用した思い出ある一冊でもあり、講演当時、私は日本仏教の抱える性差別問題を僧侶の配偶者たちへの聞き取りなどから描き出そうと収集したインタビュー・データを整理し、それを修士論文としてどう纏め上げようと悩んでいる最中でしたので、訳者である酒井順子先生のお話を聞くのを非常に楽しみにしておりました。

以下、講演の簡単な内容と、質疑応答での様子を記したいと思います。

オーラル・ヒストリーとは何か。それは、研究法、研究領域、民衆の歴史運動など、様々な領域にまたがって広がっていくもので、人間を軸に展開するヒューマン・サイエンスであると、酒井先生は言います。その研究法は、周辺領域のいくつかの研究法と組み合わされてつかわれ、本質的に学際的でもあります。しかしこの研究方法としてのオーラル・ヒストリーをめぐっては、「理論化されていない」との批判を受けることもありますが、トンプソンは『口述の歴史』の第4章において、口述資料の信頼性を以下のように説明しております。すなわち、文書資料および統計資料と口述資料は相互に入り組んでおり、文書・統計資料にもバイヤスや誤謬がある。また、口述資料は文書資料を残し難い人々の声、社会から隠されていた側面に光を当てることができる、と。口述の史資料は、文書・統計資料の下位に位置づけられるものではなく、対等に相互に参照・分析され得るべきであると。

また、イギリスにおけるオーラル・ヒストリーの展開を、酒井先生はMore history/Anti-history/How history/Public historyの4つにわけて考察されました。そのうちMore historyは文書記録を残し難かった女性や労働者層の埋没した歴史を救い出し、Anti-historyは口述の史資料から既存の定説を覆す力を持ち、トンプソンもここがオーラル・ヒストリーの醍醐味であると指摘しています。

講演では、酒井先生ご自身の研究内容や調査経験についても紹介がありました。何よりも驚いたのは、100人もの人にインタビューを行ったというご経験です。ジェンダー化されていた在英日系金融コミュニティの研究において、何人もの人の話を聞き、そこから、ジェンダー・アイデンティティとエスニック・アイデンティティが交差されながら形成される様に迫ったことを、ご自身の体験や当時思ったことなどを織り交ぜながらお話していただきました。この中で印象深かったのは「オーラル・ヒストリーをやる人は内気な人が多い」という一言です。会場は大爆笑に巻き込まれましたが、しかし、オーラル・ヒストリアンは人の人生を聞き、それに寄り添って研究を進めていきます。我が強くては、その人の人生に静かに耳を傾けることも難しいかもしれません。普通の人間のフリをして、一対一で聞く、また大事なことは、語り手を対象化しない緊張関係を保ちつつ話を聞く、このようにインタビューを重ねてきたという酒井先生のお話は、オーラル・ヒストリアン見習いとして学ばせていただくことがたいへん多かったです。

質疑応答でもオーラル・ヒストリーの手法、インタビュー・データの整理の仕方、フィードバックや調査倫理の問題、フェミニスト的アプローチの問題など、白熱した議論が展開されましたが、その全てを書くことは難しいので、強く印象にのこっているお話と、そこから考えたことを簡単に書かせていただきます。

酒井先生がインタビューの聴き取りにこだわるのは、そこには人々の主観が入り組んでいて、その主観の向こう側に見えるものを探しているから、というお話がありました。私も修士論文執筆にあたり、女性仏教徒たちにインタビューを何度も何度も繰り返したのは、教義経典解釈のような宗教集団内の上意下達的な理解からではなく、宗教活動の現場での女性たちの生きた声から彼女たちの仏教観の理解を試みる必要性を感じたからでした。宗教的エリート層にのみ独占された教義に偏重した議論に拘泥するばかりでは、活き活きとした日々の宗教生活に迫れないどころか、そこから排除されていた女性たちの声が無化されてしまうのではないか。その彼女たちのことばから、ダイナミックな「フェミニスト仏教」の萌芽に迫れないだろうか。そのような想いから女性仏教徒たちの声そのものに接近すべくインタビューを重ねていた当時の私にとって、酒井先生のお話は勇気付けられるような思いでした。

私がオーラル・ヒストリーの調査研究手法に惹かれるのは、やはり「人の話を聞く」という人間的営みからそれまで看過されてきた豊かなリアリティに接近する面白さに魅了されているからに他なりません。優れた宗教的感性を持ちながらもマージナルな存在として追いやられていた仏教女性たちの話を聞くたび、その面白さと力強さに圧倒され、夢中になりインタビューを重ねてきました。 私の手元にある『記憶から歴史へ』は、付箋や挿まれたメモで膨らんでしまっています。自分自身のインタビュー調査の計画と実施に関しては何度も読み返し参考としておりました。酒井先生の講演に参加できた幸運に、心から感謝しております。

一橋大学大学院社会学研究科修士課程 安達宣子

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